• 洪均 梁

チェリまほ、恋する母たち、ハルシオンデイズ2020

更新日:2021年3月24日

この秋、テレビドラマや演劇で、性的マイノリティが登場する作品を、立て続けに目にしています。

この記事を読んでくださっている方にも、記事のタイトルをみて、ピンときた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

それらを見て感じたことを、ネタバレしないよう、細心の注意を払いつつ、まとめておこうと思いました。

KOKAMI@network vol.18 「ハルシオンデイズ2020」

http://www.thirdstage.com/knet/halcyondays2020/index.html

公式ホームページにも掲載されているように、キャストの石井一考氏が最初に掲載したコメントが、一部のLGBT運動家やその支持者などから「偏見に満ち、差別的だ」と問題視され、この作品の作者であり演出も手掛ける鴻上尚史さんからの、Twitterを通した謝罪を含め、公式サイトが謝罪をした上で、コメントが差し替えられたことは、皆さんも良く覚えていらっしゃることと思います。

私は、去る10月3日に東京公演を観たのですが、入場の際も、退場の際も、鴻上さんが観客を出迎え、そして、見送っておられるのを拝見し、そのお人柄はきっと、全てにおいて真摯であり、演劇=鴻上さんでいらっしゃるのだろうと、素人ながらも、勝手に親近感を覚えた次第です。

さて、話を戻しますが…石井氏の最初のコメントには、未だ批判的な見解を持つ方もいるとは思います。

しかし、その人たちは石井さんの演技を、その後ご覧になったのでしょうか。

私は、石井さんの演技を拝見するのは初めてだったのですが、正直に言うと、

「ここまで、自然体で“おねえ”が見え隠れする“オトコ”を演じるなんて、相当苦労されたんだろうな」

と腰を抜かすほどの衝撃を受けました。

それほどまでに、“わざとらしい”演技ではなく、石井さんは素で演じているんじゃない?と錯覚するくらいに、違和感がなかったのです。

文字にして、別の言い方をするならば、

「あぁ、こういう友達、二丁目にいるわ!」

「あ、自分って、もしかして、こんな感じかも」

という感覚でしょうか。

そういった驚きを通して、あの、問題とされたコメントを読み返すと、あれは石井さんが、「俺の演技をしかと見てくれ!」と高らかに、自信のほどを示してみせたものだったのではないかと思ったのです。

また、あの“反発”“抗議”は、まさに、本作がモチーフの一つとして扱う“自粛警察”と同じく、“正義の暴走”でもあったように思いました。

その“正義の暴走”の犠牲になった石井さんは気の毒であることには変わりないのですが、10年ほど前に「蜘蛛女のキス」で、愛深きトランスジェンダーの役を演じた時には、とても苦労されたという石井さんが、「女言葉や女性としての自然な所作」を、“演じることの引き出し”のひとつから取り出して、しっかりと見にまとい、男を愛する男、男を愛する自分とは違う立場もある男を、表現者としてしっかりと“着こなしている”と感じました。

11月23日まで、東京で公演が続き、12月に大阪で千秋楽となりますが、まだ、観ていないという方はチャンスがあれば、観に行ってみてはいかがでしょうか。

テレビ東京 “チェリまほ” 木ドラ25「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい

https://www.tv-tokyo.co.jp/cherimaho/

ガンガンpixivで連載中の豊田悠作の同名コミックが原作のテレビ東京で放送中のドラマです。

童貞のまま30歳を迎えたことにより、「触れた人の心が読める魔法」を手に入れた、冴えない30歳のサラリーマン・安達清と、社内随一のイケメンで仕事もデキる同期・黒沢優一が繰り広げる、時に繊細に、時にコミカルに紡がれる恋模様が、この記事を書いている2020年11月21日現在、第7話目まで放送されています。

正直なところ、よくありがちな“軽い演技”“受けの良さを狙ったストーリー”だろうという先入観があり、イケメン俳優がゲイ役を演じるのを観れたら、それで良いかな…と思っていたのですが、町田啓太さんの演技が、なんていうんだろう…等身大のゲイの葛藤や苦しみ、そして、普段の生活の中にあるちょっとしたことに喜びを感じる姿が、リアルに見えてしょうがなく、感情移入して、まるで実在する人たちのように応援してしまい、すっかり、チェリまほの虜になってしまいました。

Twitter上でも、仲間とやり取りしている中でも言い続けているのですが、どうか、ハッピーエンドで最終回を終えて欲しい…最近、心がウキウキとするような出会いから遠ざかっているおじさんとしては、末永く幸せであって欲しいし、二人で一緒に生きていけることを、例え、それがフィクションの世界であっても、願わずにはいられません。

そして、“テレビ東京って最高!“なんて、調子のいいことを思ったりしています。

第8話からは、安達と黒沢の交際がスタートするだけでなく、柘植と湊の関係も何やら進展がある模様。

最終回まで、しっかりと見届けたいと思っています。

TBSテレビ 金曜ドラマ「恋する母たち」

https://www.tbs.co.jp/koihaha_tbs/intro/

“なぜ、母になっても女は恋に落ちるのか…”原作・柴門ふみ、脚本・大石静、主演・木村佳乃による、新時代を生き抜く全ての人に送るラブストーリーとして、話題のドラマ。

主題歌が松任谷由実ということもあり、特にゲイの皆さんの注目を集めているのではないでしょうか。

現在、第5話まで放送されていますが、その第5話で、主人公・石渡杏の友人である林優子の名門校に通う息子が、実はゲイであり、石渡杏の息子、研のことが好きだと母に告白するシーンが描かれたのです。

このゲイである林大介を演じる奥平大兼さんの演技が、母親にカミングアウトするまでの葛藤、例えば、カミングアウトして受け入れてもらえなかったらどうしようとか、そういう靄っとした気持ちが表情や手の動きなどに表れていたり、母親に「男が男を好きでも、女が女を好きでも、男が女を好きでも、愛するってことはすてきよ」と言われ、ゲイである自分を受け入れてもらえて、母親に対する心のわだかまりが解け、表情が豊かになっていく“移ろい”がごく自然で、すてきだったのです。

この、「息子がゲイ」ということはあらすじにも相関図にも触れられていないことも、原作を読んでいない私にはとても新鮮で、家族に性的マイノリティがいることは、何も特別なことではなく、ありふれた一つの家族のかたちなんだぞ、と示されているように感じ、深い感銘を覚えました。

第6話では、大介と研が、繁秋と共に与論島で一緒に過ごすシーンが予告ムービーで流れており、高校生の恋がどうなるのか、おじさん、こちらも俄然、注目しています。

ありふれた存在として描かれるようになった“私たち“

「そういう人もいるよね。普通じゃん。」という感覚が、フィクションの世界で、確実に広がり、スクリーンの向こうからこちらに示されているよう感じます。

奇をてらうわけでもなく、ありふれた日常の一コマとして、性的マイノリティが描かれていく…これこそ、皆が待ち望んでいた “私たちを演じてくれている” という理想の姿ではないでしょうか。

もちろん、まだまだ、性的マイノリティについての理解が十分とは言えず、受け入れられているとは言い難い部分もあるとは思います。

でも、確実に、社会がごくありふれたものとして、性的マイノリティを受け入れるようになっているということもまた、真実であります。

どちらが正しいとか、間違っているとか、そういうジャッジではなく、ね。

また、これからも、トランスジェンダーの殺人鬼やうつ病のゲイなど、特殊な存在も描かれることでしょう。

それは、異性愛者でも同じことですから、特段問題視するべきものではないはずです。

可視化され、一般化していくということは、目立ちもせず必要以上に注目されることもなくなっていくこと、つまり、特別なものでも、特殊なものでもなくなっていくことでもあるはずですから、これから、「え!前回、ゲイ役の子が出てたの?知らなかったぁ!」なんて視聴者たる私たちが驚くように、性的マイノリティの役を殊更にクローズアップさせないようになっていくのでしょう。

そして私たちも、「性的マイノリティがどんな風に描かれているのか」に必要以上に神経質になる必要もなくなっていくのでしょう。

それで充分であり、それ以上のことを求める必要もないと考えます。

気が付けば、随分と私たちが、ありふれた存在として描かれるようになったのだな、と感じる今日この頃なのです。

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