• 一般社団法人芙桜会 | FUOHKAI

日本のトランスジェンダーに何が起こっているのか

 最近、「トランス差別」に関する記事やツイートを見聞きする機会があります。

 トランスジェンダーの存在を否定することや差別などあってはならないものです。

 しかし、トランスジェンダーを差別していると批判されている人々の意見をよく読むと、必ずしも、トランスジェンダーの存在を否定したり、それこそ差別を意図しているとは言えないということが分かります。

 今、トランスジェンダーやそれに関係する事柄において、何が問題とされているのか整理して考えると共に、「なにを議論するべきか」について、考えたいと思います。


それぞれの主張は、何か

 目下、トランスジェンダーを差別している、と批判されている人や団体の主張をよく読むと、彼らが問題とし、政府や地方公共団体、そして民間企業等に対し問題提起しているのは、トランスジェンダーの存在ではなく、“トランスジェンダリズム”なるものであることが分かります。

 このトランスジェンダリズムというのは、簡単に言えば、「性別は個人が自分の性別をどう思うか、つまり性自認で決められる。従って、性別の別を設けたものは、性自認を元に適用・運用されなければならない」というものです。

 人間が、生まれた途端に自分の性別が何であるのか、即座に表明することは不可能である以上、トランスジェンダリズムにおける性別の自己決定とは、出生時に登録された性別(身体機能に基づき決められた性別:生物学的性別・公的性別)を、その人の必要に応じて生涯のうちに書き換えることです。

 この、「公的性別を書き換える」という手続きは、性自認が必ずしも固定されているわけではない、つまり、一生涯において変わり得るものである以上、人によっては1回だけの変更とは限りません。

 また、トランスジェンダーには、男でも女でもあるセクシュアリティや、男・女の枠を超えた性別のセクシュアリティも存在しているとされているので、書き換えられた性別が男か女のいずれかで対応出来る、と考えるのも、早計です。

 また、性自認は、あくまでも「自分の性別をどう思うか」ですから、身体機能に基づく性別(生物学的性別・公的性別)とも、誰を性的対象とするのかという性的指向とも関係がありません。

 この、性自認が性的指向や身体機能とも関係がなく、生物学的性別をも無視出来るということが、トランスジェンダリズムを議論することを難解にしている要因のひとつだと考えられます。

 一方、トランスジェンダリズムを問題視する人々を、トランス差別だと批判する人々の意見もよく読むと、トランスジェンダリズムとトランスジェンダーの違いがはっきりとしないまま、相手を批判しているように見受けられます。

 これは、目下、トランスジェンダリズムとトランスジェンダーの違いが広く知られていないことが原因であり、当事者でさえ、必ずしこの違いを理解しているとは言えないのだろうと推測されます。

 トランスジェンダリズムとは、あくまでも思想の問題であり、トランスジェンダーの存在とイコールではありません。

 もし、トランスジェンダリズムがトランスジェンダーと同義ならば、性同一性障害(性別不和)を抱える人々は、トランスジェンダリズムの枠から外れることになります。

 なぜなら、性自認は性同一性障害(現在、身体不和や性別不合などと言われる)、つまり、自己が認識する性別と自己の身体機能との間の不一致とは関係がない以上、「この体を何とかしてくれ」という願いは、必ずしも必要とされないからです。

 トランスジェンダリズムを擁護することは、自分の性別について、身体機能と自己認識する性別との間に違和感を抱えながら生きる人々を排除し兼ねないことは、実はあまり理解されていないのです。


なぜ、論争が起こったのか

 先に述べた事実を踏まえると、例えば、身体機能がどうであれ、人が、自分は男や女だと思うこと、男でも女でもあると思うことや、男でも女でもない“なにか”だと思うことも、トランスジェンダーがカバーする多種多様なセクシュアリティを念頭に置けば、そのひとつひとつの認識が、性自認のひとつとして認められる必要があります。

 また、性自認は、身体機能や性的指向と関係がありませんから、例えば、身体機能が男性として健全であり、性的指向が女性に向いていたとしても、その人が性自認は女性だと認識しているのであれば、女性として認められなければなりません。

 これに気づいた人々のうち、特に女性が、トランスジェンダリズムに異を唱え始めたのが、現在起こっている論争のきっかけなのです。

 トランスジェンダリズムを問題視する人々は、性自認という客観的にその正偽を判断できないものを性別の根拠とすることにより、特に女性スペースへの、性自認の悪用による不法行為、つまり、男性の不法行為の増加を懸念し、性自認を根拠とした法律や条例など社会的ルールの整備に対し、性自認について慎重な検討を要すると、問題提起をしているのです。

 一方、トランスジェンダリズムを擁護する人々は、トランスジェンダーの多様なセクシュアリティの存在を根拠に、性自認をもって本人が希望するスペースへのアクセスを妨げられるなど、トランスジェンダーの権利が制限されることをトランス差別だと主張しています。

 トランスジェンダリズムを問題視する人々と、それを擁護する人々との間に、根拠とするものの大きな乖離がみられるのが、現在の論争において、忘れてはならない視点だと考えます。

 この乖離は、日本が仮にトランスジェンダリズムを認めた場合にどんな社会となるかを予測する場合にも、大いに参考となると考えます。


性自認はその悪用による犯罪や迷惑行為を排除できない

 性自認は、「その人が、わたしはXXであると主張することを、第三者(社会)がその全てを尊重する」ことと同義です。

 従って、その人が主張する性別を、第三者が判定したり、ましてや否定したり訂正することが出来ません。

 これは、個人を尊重する観点で言うととても崇高なもののように見えますが、致命的な欠点を有していることに、皆さんは気づいておられるでしょうか。

 それは、性自認を悪用した犯罪や迷惑行為を排除できないということです。

 トランスジェンダリズムを問題視する人々が、性自認を悪用して男性が女性トイレを初めとする女性スペースでの不法行為を行う危険性について議論をすると、トランスジェンダーが不法行為をするために、トランスジェンダーと名乗り、身体機能を根拠にした場合は本来立ち入ることの出来ない女性スペースに侵入することはないのだから、その議論自体がトランス差別だと言う人がいます。

 しかし、それは女性の権利や安全を省みない、残念な反応であり、ミスリードと言って差し支えないと考えます。

 また、一部には、問題が起これば、警察などに連絡すればいい、などという人もいますが、これも、無責任ではないでしょうか。

 「被害者が出たら、考えましょう」とか、「トランスジェンダーは犯罪を犯さないので、知りません」では、トランスジェンダーの存在を認め、その権利や安全を保証してもらおうとする立場として、第三者の信用を得るにはいささか心もとないもののように映ります。

 なぜなら、警察に通報するような事態が発生したということは、その時点で、被害者や警察に通報するべきだと判断するような状況に置かれた人がいることを意味するからです。

 性自認が悪用されたことが原因で、被害者が生まれてはならないのです。

 「トランスジェンダーの権利や安全を保証して欲しい」と言うならば、性自認の悪用を原因とする犯罪被害者が生まれないようにする仕組みやルールを一体にして、特に女性と共に考えることがないと、日本がトランスジェンダリズムを受け入れることは、まずないと考えます。

 性自認が主体的で曖昧且つ客観的評価を受けないものである以上、身体機能に基づいた性別(生物学的性別)より、信頼性に劣るものであることは間違いありません。

 現実は、トランスジェンダリズムを問題視する人々が安心して性自認を受け入れられる根拠を、誰も出せないのであり、出せない以上は、性自認の悪用による犯罪や迷惑行為の被害者が出ないために、どうしたら良いかを考えなければならないことを避けることは出来ません。

 性自認の悪用による犯罪や迷惑行為の被害者が出ないようにするための提案や働きかけが議論を通し、自発的に提案される必要があります。


まぜるな危険「ジェンダー平等」とトランスジェンダリズム

 日本で、ジェンダー平等を語る際に、トランスジェンダーの存在を意識するようになったのは、ここ数年のことであろうと思われます。

 政治家がトランスジェンダーの存在を意識する形でジェンダー平等を訴え、それを受けた形で政党がジェンダー平等の実現を選挙公約にするなど、特に政治の世界で提唱されていることは、皆さんもご存知のことかと思います。

 トランスジェンダーの存在を考えると、ジェンダーは単純に男と女で語ることは出来ないと考えるのも、無理もないことでしょう。

 しかし、残念ながら、従来の男と女の二元論ではなく、新しい社会的役割を加えた形でジェンダーを突き詰めていくと必ず、権利の衝突が起こります。

 その衝突は、主に女性の権利や安全との衝突です。

 その理由は、四つあります。

  1. 性自認は客観的判断が出来ない

  2. 性自認は固定されたものではなく、むしろ流動的である

  3. 性自認は身体機能(生物学的性別)や性的指向とは関係がない

  4. トランスジェンダーには男と女のいずれか、あるいはその両方では対応できないセクシュアリティも存在する

 この四つの問題点を踏まえて、ケーススタディを二つしたいと思います。

  1. 身体機能が男性として健全である人が、平日は男性、休日は女性の性自認だったとします。この人の性的指向は女性です。この人が女性トイレや女風呂を、性自認が女性の時は利用したいと出向いた時、どう対応するべきでしょうか。

  2. 身体機能が男性として健全である人が、政治家としては女性、それ以外では男性の性自認だったとします。この人の性的指向は女性です。この人を、女性国会議員として認めるべきでしょうか。

 トランスジェンダリズムの考え方では、その人が女性だと自分を認識している時は、女性として扱われなければなりませんから、それぞれの答えは、

  1. 女性として受け入れましょう(対応しましょう)。

  2. 女性国会議員として認めましょう。

となります。

 これを女性が、「トランスジェンダリズムだからしょうがないよね。そして、ジェンダー平等だもんね。」と、現時点で受け入れられるのでしょうか。

 私は、大いに疑問があります。

 仮に将来、トランスジェンダリズムが日本の社会に受け入れられるとしても、現時点では、容認するための前提条件として広く認知され、受け入れられている状況とは到底考えられず、トランスジェンダーの存在を尊重、つまり、性自認をもってジェンダー平等を語ることが、現実を踏まえたものであるとは、残念ながら言い難いものに映ります。

 特に、ジェンダー平等を掲げる政治家や政党に言いたいのは、そのジェンダー平等は、本当に誰一人として取り残すものではないと自信をもって言えるのか(誰かに我慢や寛容を強いるものではないのか)、ということです。

 私の考えでは、NOです。

 客観的評価を受けない、主体的な性自認を根拠とするトランスジェンダリズムを容認する限り、特に女性の権利や安全が脅かされたり、女性に我慢や寛容を強いることになることは、誰の目にも明白だと言えるからです。

 「真のジェンダー平等とは何か」を、トランスジェンダーの存在を含め考えることは即ち、生物学的性別に則った従来の考え方を放棄し、性自認に則った考え方を受け入れる事であり、それは、想像以上に巨大な社会変容をもたらす”劇薬”を議論していることを改めて認識し、検討されるべきであると、私は考えます。


セクシュアリティに線引きが出来るのかどうか

 海外に目を向けると、イギリスのように、セルフIDなるものが導入されている国があります。

 セルフIDとは、簡単に言うと、性別の上書きに関する法律のことです。

 今後、仮に日本においてトランスジェンダリズムを認め、セルフIDを導入することを本格的に検討する場合、トランスジェンダーがカバーする多種多様なセクシュアリティ(性自認)を考慮すれば、法的根拠を与えるセクシュアリティかどうか、線引きをする必要性を議論する場面が、必ず出てきます。

 トランスジェンダリズムによれば、性自認は全て正しいことになりますから、その人の性自認に線引きは出来ないことになります。

 つまり、性自認とは人の数だけ存在することを意味します。

 なぜなら、自分が何者であるのか、それはその人固有の感覚であるからで、その正偽を第三者が判定できないからです。

 そのような特徴を有する性自認を、国として、どこまで認められるのか。

 そして、性自認の悪用による犯罪や迷惑行為をどうやって防ぐのか。

 性自認の悪用による犯罪被害者をどうやって救済するのか。

 性自認に対応するために、どれだけの法律やルールを修正・改正、あるいは新設や廃止をすることになるのか。

 性自認を性別決定の根拠とする場合に大きく影響を受ける例を、簡単に三つ上げてみたいと思います。

 一つ目は、戸籍制度です。

 例えば、戸籍が、男でも女でもないセクシュアリティや、男でも女でもあるセクシュアリティ、あるいは、男になったり、女になったりする場合に、戸籍上の性別をどう扱うのか。  

 二つ目は、警察の対応です。

 例えば、「自分の性自認は女性だ」と主張する男性犯罪者がいた場合に、性自認を尊重すれば犯罪が成立しないケースを、どう取り扱うのか。

 三つめは、婚姻や出産に関してです。

 例えば、性自認が流動的なものであり、セクシュアリティには性自認が一定ではないものがある以上、ある時は男性として出産をし、またある時は女性として出産をする人や、ある時は男性として女性と結婚をし、またある時は、女性として男性と結婚する人が現れた時、それに対応するためには、どれだけの法律やルールを適応させるべく、調整することになるのでしょうか。

 トランスジェンダリズムの問題は、トランスジェンダーがカバーするセクシュアリティの多様性、つまり、性自認が人の数だけ存在するという事実も相まって、「トランスジェンダーの人たちがかわいそう」というオキモチ論だけでは語れない現実に起こりうる社会的課題をどう解決するのかを、想像以上のスケールで、真剣に議論する必要があります。

 また、性自認がその悪用を排除できない致命的な欠陥を有している限り、その悪用による犯罪や迷惑行為に、従来の法律や社会的ルールでは対応できない事例が出てくることは明白であり、「性自認は悪用出来る」という視点を持ち、トランスジェンダーの権利を保護することと同時に、性自認が悪用された場合にどう対応するか、そして、性自認が悪用されない・悪用しにくい仕組みは何かを重要な社会問題として、タブーなく議論する必要があると考えます。


まとめ

 私は、当事者のひとりとして、昨今の論争が、性自認を初めとする性的マイノリティに関する用語や概念を、いま一度点検するきっかけとなることを期待しています。

 今までは、性的マイノリティの言うがままに、その用語や概念を、性善説に基づき、差別に対する高い問題意識も相まって、受け入れてきた部分も多く見受けられたように思います。

 しかし、もう、そういった受け身の姿勢では対応しきれない状況になっていると気づいてほしいのです。

 これからは、性的マイノリティの権利や安全を検討・実現する立場の人々が、主体的に性的マイノリティが主張するものを法律を初めとする既存のルールに照らすとどういった変更・改正・新設・廃止を必要となるのかを精査し、その結果に基づいて対応する段階であるべきだと考えます。

 トランスジェンダリズムを議論し、日本の社会にどのような影響があるかを考えることは、トランスジェンダーを差別することではありません。

 性自認というものが、客観的評価を必要としない主体的なものであるが故に、その悪用を排除できず、ややもすると犯罪や迷惑行為、特に、女性に対する犯罪や迷惑行為を助長させかねないという決定的欠陥がある以上、性自認を認めた場合の社会を様々な視点で議論することは、何ら問題のないことです。

 トランスジェンダーのためにも、トランスジェンダリズムがタブーなく、広く活発に議論され、日本の社会の将来を語ること、これが今、求められているのです。

(2022年6月6日 初稿)


用語解説

トランスジェンダリズム

性自認を元に、生物学的性別(SEX=公的性別)で区切られた領域を、性自認で区切られた領域として書き換えようとする思想及び運動のこと。

トランスジェンダー

多様な性別違和(生物学的性別と性自認や性表現との間の相違)のあり方を示す総称。 実際には、広義(アンブレラターム=包括的な用語)とセクシュアリティのひとつとしての狭義の意味があるため、広義には性同一性障害を含め、狭義には性同一性障害を別のセクシュアリティとする。

性自認

自己の性別についての認識。 自己申告であること及び、セクシュアリティの多様性を考慮すれば、生物学的性別を無視しないと成立し得ないものである。

セルフID

性自認を根拠とした性別の自己決定権・公的性別の上書きを法的に認める制度。


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