• 洪均 梁

映画「バイバイ、ヴァンプ!」について

更新日:2021年3月24日

皆さんは、バイバイ、ヴァンプ!という映画をご存知でしょうか。

2020年2月14日(金)より、東京・静岡・名古屋・大阪の6か所の映画館で上映(2020年5月1日現在、上映する映画館はなし)の「コミカル青春ホラー映画」なのですが、今回はこの映画にまつわる一連の騒動について、私の意見及び提言を述べます

映画について

公式サイトに掲載の映画紹介文によると(原文まま)、

「中世のルーマニアから永遠の命で密かに人間と共存し生きながらえている美貌のヴァンプたち。 何百年の時を経た今、新しいヴァンパイアの王国建設の場所に選ばれたのはルーマニアではなく、ここ日本の茨城県にある学園、私立野薔薇高校だった。この高校に通う2年生の小日向京平(寺坂頼我)は、同級生の宮田知基(平松賢人)、田中亮一(橋本祥平)、小倉勇気(瀬戸啓太)、館野吾郎(とまん)、荻野七生(私市夢太)と毎日仲よく過ごしていた。 ある日のこと、京平の小学校からの親友である吾郎が何やら怪しい人影に襲われてから状況は一変する。 翌日、女好きの吾郎が、突然女装した同性愛者となってしまい、クラス中で大騒ぎになってしまう。巷では、「この町にヴァンパイアが出現している」と噂されている中、京平たちは、吾郎を噛んだのがヴァンパイアで、ヴァンパイアに噛まれると同性愛になってしまうのではないか?と考え始める。 そんな中、ハーフっぽい顔立ちのイケメンで、文部両道の海外育ちというエリート黒森大牙(高野海琉)、妹の黒森夜弥(マーシュ彩)が転校してきた…」

という内容なのですが、この映画の予告編が公開された途端、一部の性的マイノリティ当事者を中心に、

「同性愛を悪のように仕立て上げ、敵視し、差別対象とする表現や、同性愛に対しての偏見や憎悪を含む表現、演出が使用され、同性愛者やトランスジェンダーを初めとする多様な性への配慮が欠けており、視聴者に間違った印象を与えかねない『差別(ヘイト)映画』だ」

というような問題提起が盛んになされ、上映中止ではなく停止をし、再編集等により同性愛嫌悪を含まない内容にしたうえでの上映及び制作委員会側から公開までの経緯の説明等何らかの配慮を求めるべく、署名キャンペーンが行われるなど、大きな騒ぎとなりました。

また、この作品への一部の性的マイノリティ当事者や彼らを支持する方々の活動は、署名活動やネット上での批判にとどまらず、2名の野党政治家による、表現規制を容認あるいは抗議活動を扇動するかのような発言に加え、映画関係者のみならず、この作品を差別と断定することに異議を唱えた当事者に対するバッシングや、本作の舞台となった茨城県猿島郡境町や上映映画館及び一般社団法人映画倫理機構(映倫)への抗議の電話、そして、署名キャンペーンの発起人による映倫との意見交換及び監督との面会(16,500筆の署名を手渡し/当時)も行われたのです。

そして、現在も一定数、Twitter等でこの作品を差別映画だとする書き込みが見られるなど、この作品をめぐる一部の性的マイノリティ当事者や彼らを支持する方々の注目の高さが伺えます。

それらの抗議活動に対し、2020年2月16日、公式サイトに次のような釈明文が掲載されました(原文まま)。

「バイバイ、ヴァンプ!をご覧頂いたく皆さまへ

この映画には一部、同性愛の方々に対し不快な思いを抱かせる表現が含まれているかもしれませんが、同性愛を差別する作品ではありません。

愛とは自由であり、人それぞれの愛が尊重されるものであるというテーマのもと、制作されました。

それは綺麗事だけではなく、愛を貫くためには乗り越えなくてはいけない壁もあります。

しかし、それを乗り越えた時に人はもっと強くなり、そして自分らしく、異性も同性も隔てることのない「人としての愛」を見つけることが出来ると信じています。

この作品は、そのテーマをエンターテインメントな作風で描いているため、 一部の方に誤解や混乱を招いた事をお詫び申し上げます。

何とぞご理解頂けますことをお願い申し上げます。

2019「バイバイ、ヴァンプ!」制作委員会

また、監督が所属する会社からも同様に釈明がなされるとともに、エグゼクティブ・プロデューサーの吉本曉弘氏が、AbemaTIMES(2020年2月18日放送)に出演し、公開までの経緯の説明や、性的マイノリティ当事者や他の出演者との討論を行っています。

バイバイ、ヴァンプ!に寄せられた批判について

あくまでも私の見解ですが、行動パターンは4つあり、批判の内容も大きく3つの形態にまとめることが出来ると考えます。

1.  行動パターン

  • 映画を見ずとも差別映画だとわかるから、予告編や公式サイトの確認すらしなかった

  • 予告編の内容や公式サイトの情報から、差別映画だと断定した

  • 映画を鑑賞したうえで、差別映画だと判断した

  • 映画を鑑賞して、「差別映画ではない」と判断した

2.  批判の内容

A) 詳細はともかく、全てが差別的だと断定するもの

  • 「『同性愛蔑視表現』を含むこの映画の公開停止」の要求

  • 「この世にある同性愛者差別、偏見をすべて集めたような映画だ」という批判

  • 「設定や脚本、演出などを総合すると、同性愛に対する既存のレッテル貼りや偏見を再生産するだけのものだ」とする批判

B) 性的マイノリティではない人たちの性欲を読み取れていないもの

  • 「『同性愛には走るわけにはいかない』『同性愛の街になってしまう』『女好きから男好きになるの嫌じゃね?』というセリフは、同性愛者を『望ましくない人達』として表現しており、根本的な問題がある」という批判

  • 「『噛まれたら同性愛に感染する』という設定と、映画に出てくる同性愛の描き方が単に性欲の塊として描かれており、『異性愛が本当の愛で、同性愛はただの性欲の塊だ』という位置づけ、それらをきちんと回収しない文脈に問題がある」という批判

  • 「同性愛は快楽におぼれているだけで愛はないという表現、噛まれた生徒が教室でキスをしたり服を脱ぐなどの卑猥な表現を中心にした描写が問題だ」とする批判

C) 個人の主観に基づく批判及び感想

  • 同性愛を扱った他の映画への批判に対し「必ずしも現実を描く必要はない」と言いつつ、本作については「ゲイを『異常なもの』とみなす差別性に気づいていない」と批判する二重基準に基づく批判

  • 「『女性はイケメン好き、そしてホモが好き。ならばイケメンを集めたホモ映画を作ればいいのでは?』程度でネタを考えたもの」という感想(想像)

  • 「映画で『ホモ』という、時に蔑視的な意図で発せられる言葉が使用され、人を大きく傷つけかねない表現で、私が悲しくなった」という感想

  • 「クラスの生徒がヴァンパイアに噛まれて、『あいつ俺のお尻狙っているかも』と同級生が言う場面は、実際に起こっているフォビア(嫌悪)の映しだ。ゲイの当事者がカミングアウトすると、『俺のこと好きなの?』とか『俺のお尻狙っているの?』と言われることがあり、現状の悪い部分を映していると感じた」という感想

私の意見

私は、映画館で実際に鑑賞し、「この作品は差別映画ではない」という感想を持ちました。

むしろ、

「性的マイノリティではない人たちがここまで、性的マイノリティや性的マイノリティの愛のかたちを軽快なコメディーに仕立てるようになったんだ!日本も変わってきたなぁ」

とエンディングロールを見ながら、しみじみと思ったほどに、違和感を覚えることはなかったのです。

尚、この作品に対するバッシングが激しかった当時、私がTwitter上で、この作品を差別映画だとする流れに異を唱えたら、

「逆張りをして注目を集めようとしている」「バイバイ、ヴァンプ!を利用する売名行為」「ネトウヨ」「嘘つき」

という謂れのない誹謗中傷を受けましたが、今となっては、「芙桜会の活動において有益なサンプル」を得たと思っています。

さて、この作品は、モンスター映画の王道であるヴァンパイアを取り上げ、性行為のメタファーである吸血行為によって、人々が性的マイノリティになるというモチーフから、非現実的な設定をし、性的マイノリティではない人たちの目線で作られた映画だという事実を踏まえて、セリフやあらすじを細かく検証したとしても、この作品を問題視する理由が見当たりません。

この作品を批判した方々(映画を見ずに批判した方々が大多数)は、単に「自分が許容できない性的マイノリティ像は全て差別だ!」とおっしゃっているように見えます。

「同性愛は高貴なもので、性欲の問題じゃない!」とおっしゃるのならば、性的マイノリティや性的マイノリティの愛のかたちの本質を理解していないところで、ご自身の都合により「正しい性的マイノリティ・性的マイノリティの愛のかたち」「正しくない性的マイノリティ・性的マイノリティの愛のかたち」を論じ、また設定をし、それを他人に押し付けているだけだと思います。

また、もし「容認できない表現内容は規制の対象だ」と信じているのでしたら、それは表現規制を支持していることと、何ら変わりはないのではないでしょうか。

もし、「不快な気持ち」を根拠に特定の表現を規制して良いとおっしゃるのなら、「『不快である』との理由で『性的マイノリティを讃える表現』も規制して良い」という意見や行動も容認しないとフェアではないと考えます。

この作品に対する批判は、「自分にとって都合の良い表現の自由は守る」と一部の性的マイノリティ当事者や彼らを支持する人々が表明したように、私は受け取りました。

「表現の自由」は、万人に受け入れられる表現においては、わざわざそれを強調する必要はないでしょう。なぜなら、世間から反発を受ける表現、つまり、「不快な表現」こそ、まさに今回の騒動ではっきりしたように、「誰かが不快に感じるから」という理由により、表現できる範囲が狭められることになり、表現規制と同じ効果がもたらされることになる(なりかねない)ため、表現の自由で守られるべきものだからです。

例えば、この作品のように、「性的マイノリティのヴァンパイアに噛まれると、性的マイノリティではない人たちが性的マイノリティになる」という、実社会にはありえない「特殊な条件」を設定することも問題はないし、神が作り給うたかのような美貌の性的マイノリティが主人公でも、登場する悪役が全員性的マイノリティであってもいいのです。

実生活に何か被害があったわけでもないにもかかわらず、「作品や表現によって傷ついたから」との理由で公開停止や表現方法に自分の意見や希望を介入させろなどと言うのは、表現の規制に該当し、「表現の自由を侵害している」ことに他ならないと指摘されたら、返す言葉もないでしょう。

「こういう風に私を理解してほしい!」

「こういう風に周りの人と暮らしたい!」

「こういう社会になってほしい!」

という気持ちや願いは理解できます。

私だって、理想の自分というものと現実社会において理解される私との間のギャップに苦しめられてきましたから。

しかし、その理想や願望を振りかざし、相手の話を十分に聞こうともせず、差別だ!ヘイトだ!と自分の中の基準や正義感で断定し、執拗に攻撃するのは間違っていると思います。

それで、ほんものの相互の信頼関係が構築できるとお思いなのでしょうか。

この作品では、高校生が主人公だからでしょう、(誤解を恐れずに言うと)「性的マイノリティも性的マイノリティではない人たちも、頭の中が”性のこと”でいっぱいだ」と描かれていますが、「同性愛は快楽だけ」などとはみじんも表現されていません。

むしろ、エンディングテーマの「FANTASY MAGIC」(歌:SIZUKU)の歌詞にもあるように、「愛のかたちは人それぞれ。自分の信じる愛を貫け」というメッセージが、私の記憶が正しければ、その歌詞と合わせ3回も劇中で出てくるように、バイバイ、ヴァンプ!は性的マイノリティの愛のかたちを、その他の愛のかたちと同列に扱っているのです。

性的マイノリティではない人たちの目線で作られた映画ですから、性的マイノリティや性的マイノリティの愛のかたちに対する、当事者以外の人々の反応(演技・演出)には、性的マイノリティには理解出来ない、読み取れない表現もあったでしょう。

性的マイノリティではない人たちが中心となり制作されたということを冷静に受け止めたうえでこの映画を見れば、映画紹介文や予告編の内容も、心に余裕をもって見ることが出来たはずです。

いや、そういう冷静な心を、我々こそが持っているべきなのです。

ヘイトは、他者に対する憎しみや嫌悪に源があると私は思うのですが、この作品は性的マイノリティに対する「愛」や「特別視しないフラットな感情」を感じ取れます。

この映画に携わったからという理由だけで、それぞれの人がすべて「差別主義者」だと、誰が断定できるでしょうか。

それは裏を返せば、

私たちが「オカマはみんな変態で、人間として欠陥品だ」と、何の根拠もなく他人から言われるのと同じことを、我々性的マイノリティが映画関係者にしているのだ

と、申し上げたい。

本当にヘイトだという確証があるのなら、また、相手を差別主義者だと、心にやましいところなく断定できるのなら、どうぞ、敵対的態度で徹底的に断固反対し、それこそ、相手が社会的にも抹殺されるまで闘えばいい。

しかし、この作品は性的マイノリティや性的マイノリティの愛のかたちにも「愛のかたちは人それぞれ。自分の信じる愛を貫け」とエールを送っているのであり、敵対的態度は全くの誤りであり、相手や作品の本質を知るべく、平和的な対話に徹するのが正解です。

そして、もし、対話を通して、お互いに何か誤解や間違いがあると認めることになったとしたら、寛容な心で許しあうのが大前提です。

その積み重ねが、日本映画において、今以上に、「性的マイノリティ自身」や「性的マイノリティの愛のかたち」を、ごく自然に、ごくありふれたものとして、色眼鏡をかけることなく描かれていくことにつながるのではないでしょうか。

我々が真に求めているのは、そういうことではないのでしょうか

映画関係者の方へのお願い

私の周りには、

「バイバイ、ヴァンプ!が本当に差別的な作品なのか、自分の目で確かめてみたい」

とおっしゃる方が、増えてきています。

新型コロナウイルスの感染拡大により、緊急事態宣言が発令されている状況においては、なかなか実現出来ないかも知れませんが、我々性的マイノリティ当事者に、この作品を鑑賞する機会を、改めて与えていただけませんでしょうか。

私も、フラットな気持ちで、再び鑑賞してみたいと思っています。

厚かましいお願いではございますが、ご検討の程、何卒宜しくお願い致します。

(2020年5月2日)

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