• 一般社団法人芙桜会 | FUOHKAI

男性スペースを利用する「トランス男性」から考える色々

皆さんもご存知のように、

「トランスジェンダーという用語が包括するセクシュアリティである人々(以下、トランスジェンダー)が、生物学的性別の別で分けられたスペースに対し、性自認を根拠に、自己の生物学的性別と異なるスペースを利用しようと試みるかどうか」

という議論が続いています。


この “試みる” という行為は、トランスジェンダーだけによってなされていると考えるのは早計だと、私は訴えてきました。


なぜなら、

  1. 性自認の概念は、なりすましや自称を排除できない以上、欠陥概念であること

  2. トランスジェンダーという用語の定義があいまいで、個人レベルで解釈が異なるまでになっていること

により、自己の生物学的性別と異なるスベースを利用する試みは、異性装の趣味や悪巧み、或いは犯罪を目的とした人物によるものを、排除できないからです。


もちろん、トランスジェンダーにも、善人もいればそうではない人がいます。


しかし、それはトランスジェンダーに限ったことではなく、人間のユニバーサルな現実です。


しかし、言いたいのはそういうことではなく、どんな人であれ、法律やそのスペースに設定されたルール(そして、社会規範やモラル、道徳も)を守らなければならず、ルールを守ることよりも自分の願望を優先させることは、許されないということです。


また、黙認されていたり、何か問題を起こすことがなかったりしても、それが、自分の生物学的性別と異なる性別に限定されたスペースを利用する許可が下りているという意味ではありません。


ひとたび問題が起きれば、トランスジェンダーであれ、誰だって処罰の対象となるのです。

性自認やセクシュアリティを理由にすれば、自分がした行為について、責任を逃れられると思ったら、大間違いです。


ところが、そんな風に考える私でも、

「これは・・・思った以上に状況は深刻だ・・・」

と思わざるを得ないようなことを、知ることとなりました。


今日は、とある団体が書き換えたゲイやレズビアンの定義により起こり得ると危惧した問題が現実化していることを、お話したいと思います。


性自認とは何か、トランスジェンダーとは何か、ゲイ・レズビアンとは何か

まず、今回のコラムで国連におけるGender Identityの説明を引用すると、

Gender Identity/性同一性:

性同一性は、自分自身の性別について深く感じ、経験した感覚を反映しています。誰もが性同一性を持っており、それは彼らの全体的なアイデンティティの一部です。人の性同一性は通常、出生時に割り当てられた性別と一致します。トランスジェンダー(「トランス」と略されることもあります)は、性転換者、女装者(「服装倒錯者」と呼ばれることもあります)、第三の性として識別される人々など、幅広いアイデンティティを持つ人々を表すために使用される包括的な用語です。その外見と特徴は非定型の性別として見られ、彼ら自身の性別の感覚は彼らが出生時に割り当てられた性別とは異なります。トランスジェンダーの女性は女性として識別されますが、生まれたときは男性として分類されていました。トランスジェンダーの男性は男性として識別されますが、生まれたときに女性に分類されました。シスジェンダーは、自分の性別の感覚が、出生時に割り当てられた性別と一致している人々を表すために使用される用語です。性同一性は、性的指向や性的特徴とは異なります。

だといいます。


次に、同じく国連におけるTransgenderの説明はというと、

トランスジェンダー/トランス:

トランスジェンダー(「トランス」と略されることもあります)は、性転換者、異性装者(「服装倒錯者」と呼ばれることもあります)、第三の性として特定する人。トランスジェンダーの女性は女性として識別されますが、生まれたときは男性として分類され、トランスジェンダーは男性として識別されますが、生まれたときは女性として分類されます。他のトランスジェンダーの人々は、性別二元制とはまったく識別されません。一部のトランスジェンダーの人々は、自分の体を自分の性同一性と一致させるために、手術を求めたり、ホルモンを摂取したりします。他の人はしません。


海外で導入されているセルフIDについては、BBC Newsでは概ね、こういった制度だと紹介されています。

セルフID(Gender Self-Identification)

意訳 (性別の)自己認識は、トランスピープルが出生証明書を変更し、(自己認識の)性別で生活していることを(自ら)証明したり、医学的判断を受けたりすることなく、法的に彼らの(性別の)認識を認めさせることが出来るものとされている

改革を提唱する人々は、現在のプロセスは時代遅れで費用が掛かり、煩わしいと主張する


LGBT法連合会が2018年に発効した「LGBT報道マニュアル」に書かれているゲイとレズビアンの定義:

ゲイ:性自認が男性で、性的指向が男性に向く人。男性同性愛者。

レズビアン:性自認が女性で、性的指向が女性に向く人。女性同性愛者。


これらの用語の定義を踏まえ、ここから話の核心に入っていきたいと思いますが、ここでお願いがあるのは、生物学的性別、つまり、出生時に医師によって判定された性別を尊重しているかどうかで、捉え方が変わってくるということを、覚えておいていただきたいのです。


女性器を有した男性が、男性スペースを利用している事実

冒頭で触れた、

「トランスジェンダーが、生物学的性別の別で分けられたスペースに対し、性自認を根拠に、自己の生物学的性別と異なるスペースを利用しようと試みるかどうか」

の議論では、とかく、トランス女性、つまり、生物学的性別が男性で、性自認が女性の人で、

  1. 性的指向が女性の人

  2. 性的指向が男性の人

  3. 性的指向が女性/男性の人

  4. 性的指向がどちらにも向かない人

  5. 性的指向が男性になったり、女性になったりする人

が、女性スペースを利用しようとすることが、トランス女性ではない男性が女性スペースを利用することを排除できないため、議論を更に複雑にさせています。


これは、トランスジェンダーの存在が問題なのではなく、性自認の致命的欠陥、つまり、本人の自己申告以外に、その人の性自認の正誤を判断できないことが、原因です。


しかし、トランス女性のみならず、トランス男性、つまり、生物学的性別が女性で、性自認が男性の人が男性スペースを利用することについても、考えなければならないと思います。


それは、次のような事例を偶然、見つけたからです。

これは、とある日帰り温泉施設についてのスレッドに書き込まれた投稿です。


952番の書き込みは、自分をFtM(トランス男性)だと紹介し、「濡れやすい前の穴」つまり、女性器を「貸す」つまり、男女間の性交を誘っています。

それに対し、955番が「塩(サウナ)で会おう」と応じています。


この書き込み通りに、実際にその男性スペースで男女間の性的接触が行われているかは不明です。

この書き込みは、いたずらかも知れません。


しかし、性自認だけで公的性別を再設定出来る世の中(セルフID社会)になると、身体は女性であるにもかかわらず、性自認が男性で、性的指向が男性に向く人が、男性スペースを利用し、そこで迷惑行為を行う可能性は、皆無ではないことを教えてくれています。


もちろん、この男性浴場には「韓国式あかすり」のコーナーがあって、女性スタッフが男性客の垢を落とすサービスを提供していたりしますが、それは仕事でやっていることであり、施設側が認めているものです。


施設が認めていない形で、女性が男性浴場を利用し、そこで迷惑行為が行われているとするならば、極論でいえば、生物学的性別の別で分けられたスペースは形骸化することになります。


なぜなら、女性浴場でも、同じことが起こりうるわけですから、行き着く先は、倫理も道徳も意味をなさず、生物学的性別の別でスペースを分ける理由が成り立たなくなっている状態なのですから。


そんな世の中は、現状、「変態ビデオ」だけの世界であるはずなのです。


それが、セルフID社会になると現実のものに出来るのです。

それを、あなたは歓迎しますか?


いくら、人間の叡智を信じるといっても、それだけで倫理や道徳が維持できる確固たる根拠が、見当たらないと考えるのが、現実的ではないでしょうか。


性自認だけで性別を決めることは、社会を崩壊させる

「性自認が男性であり、性的指向が男性に向く人がゲイ」だと主張する場合、重要なのはその主張が、生物学的性別を尊重しているかどうかです。


先ほどの例では、いたずら投稿かも知れない、という考え方も成り立つことを前提に、「生物学的性別を無視し、男性浴場を利用するFtM(FtMは生物学的性別と性自認が一致しているとは限らず、そして、性的指向は様々です)」を紹介しましたが、それが示してくれているように、生物学的性別を無視した場合、「性自認が男性」という意味は、様々なセクシュアリティを考慮すれば、生物学的性別と性自認が

  1. 常に一致している

  2. 常に不一致である

  3. 一致しているかどうかわからない

  4. 一致したり、不一致になったりする

  5. 一致と不一致が共存している

という複数の状態の「男性」を内包していることに、多くの人が気付くべきなのです。

(それに、セクシュアリティをあたかもジェンダーかのようにとらえて議論する傾向もあり、混乱に拍車をかけています)


これは、必ずしも、性的少数者の理解が十分とは言えない現状を鑑みれば、

「この用語の定義は、生物学的性別のうえに考えられたものですか?」

などと確認できる人は、皆無に等しいと考えられます。


LGBTについて提供される情報は、性自認ひとつとっても分かるように、二重にも三重にも解釈できてしまうような、定義の定まらない、曖昧な用語が多く存在しますが、それは、万人が使う共通言語、共通認識としては不適格であり、場合によっては、相手を騙すものであると非難されても致し方ないのではないでしょうか。


なぜなら、それは知識のあるなしで、優劣を決定づける、つまり、情報を提供する側を利するものであるからです。


現在、生物学的性別、つまり、出生時に医師により外性器の形状により判定された性別を尊重する派(SEX派)と生物学的性別を無視する派(GENDER派)が、性自認を巡り、激しく対立しています。


生物学的性別を尊重するか、しないかによって、「性自認」により導き出される性別は、先ほどご紹介したように、全く異なります。


そして、生物学的性別を無視して性別を、性自認によって後から「上書き」することが出来る世の中(セルフID社会)になると、先に述べた例で言うと、“性自認が男性で、性的指向が男性に向く、女性器を有する男性” が、男性スペースでいかがわしい行為を、”性自認が男性で、性的指向が女性に向く、男性器を有する男性“ と、男性浴場で行った場合、これは男性同士の性的接触になるのです。


今回は、男性浴場での例を取り上げていますが、性自認だけで性別を上書きできるようになった場合、例えば

  1. 現状、生物学的性別をベースに運用されてきた統計など(生物学的性別に基づく)男性と女性の別でそれぞれの傾向を見たり、結果を出したりしてきたものが無効になる

  2. 女性専用車両は性自認で利用できるようにする必要が生じる

  3. 婦人科を受信できる人の定義も変えなければならなくなる

など、社会の大転換を強いる、想像以上に甚大な影響があることは、否定できません。


その変更は、セルフIDを否定するような内容であれば、多種多様なセクシュアリティの尊重が損なわれているとも言える以上、”差別” と言われかねません。


”生物学的性別を無視し、性自認だけで公的性別を書き替えられるようにする”(セルフID) ということは、「自分らしく生きることを叶えてあげよう」などというお気軽な善意で片付く問題ではないのです。


なぜなら、性自認に良い性自認も悪い性自認もないのですから、性自認だけで性別を上書きすること(セルフID)を第三者が否定することは出来ないからです。


そして、性別は一度だけしか変更できないとすれば、性別が常に揺れ動く人や、性別が分からない人、そして、どちらの性別でもある人などにとっては「差別」になりますから、何度も変更できるシステムでなければなりません。


戸籍はどうなるのでしょう。


セクシュアリティだって、一生同じとは限りません。


となると、性別自体が形骸化、というよりは、”性別がなくなる”と言っても、過言ではないでしょう。


これは、身体的に雌雄の別がある生物として、地球上で初めて、身体機能の進化に伴う変化ではなく、「概念」という、個体ごとに異なる、実体のないもので、雌雄の別を放棄した生き物に人間が変化することになるのではないでしょうか。


「荒唐無稽な話をよくもまあ、この人は言っているな」

とおっしゃるかもしれません。


それは、性自認だけで性別を変更できる(上書きできる、それも、何度も)という話は、太陽が西から昇ってくるようなことであり、無理もないと思います。


しかし、それを実現しようと躍起になっている団体や個人が、この日本に存在し、あと少しで法律として成立する寸前まで今年、法案が与野党間でまとまったのですから、全然、荒唐無稽な話ではないのです。


“法律” を作る前に、ちょっと立ち止まって考えてみよう

本当に、LGBTに限定した法律が必要なのでしょうか。既存の法律やルールの改定で対応出来ませんか?


法律を作れば、物事が解決すると思い込んではいないでしょうか。

今も不自由なく暮らしている人は少なくありませんよ。


そもそも、法律なしでは生きていけないのでしょうか。

LGBTが常に弱者であるとは限りませんよ。


その法律は、当事者団体や個人活動家の飯のタネになるような規定が盛り込まれていませんか?

LGBTに特化した啓発や教育に関する活動は、そんなに必要なものですか?


その法律が定める用語の定義は、生物学的性別を尊重していますか?

尊重していると確認していますか?


これは、法律に限らず、条例やパートナーシップ制度をはじめとする様々なLGBT向けの施策においても、同様に、成立させる前に確認するべきポイントです。


LGBTは、それをもって、男女とは別の性別かのように思われがちですが、男女のうちの多様性の一つです。


セクシュアリティは認められるとしても、性別は生物学的性別に則り、男か女かで決められるべきです。


いいや、べき、と言うのではなく、生物学的性別のうえに、セクシュアリティがあり、ジェンダーを添えるという考え方でないといけないのだと私は考えます。


日本は、海外と比較して、LGBTに対する政策が乏しいとか、遅れているなどと言われますが、そんなことはありません。


同性間の恋愛や性愛が禁止されている国も少なくない中で、道半ばとはいえ、積極的に取り組んでいる国だといえます。


そのうえで、LGBTの言うことを聞いて対応していたらいい、という段階を脱し、「日本にとって、適切なLGBT施策とは何か、取捨選択する」段階になければなりません。


変えるべきものは、変え、変えないものや変えるべきではないものは、変えない。


他者の権利や安全との調和を図りながら、社会に適合した形で、日本にふさわしい施策を講じていただきたいのです。

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