• 洪均 梁

私たちはどうあるべきか、どう生きるべきか ①

いつもでしたら、性的マイノリティにまつわることで、私自身の意見や提言を述べるところですが、今回は、もっと普遍的な「自分が人としてどうあるべきか、どう生きるべきか」というテーマについて、私も、人生の道半ばであり、読者の皆さんが傾聴するに値するようなことをお話しできるかどうか、甚だ疑問ではありますが、お話ししたいと思います。

尚、私はゲイですので、男性同性愛者としての視点で語ることになりますが、読者の皆さんがそれぞれの立場に置き換えていただければ、と思います。

また、この普遍的なテーマは、折に触れて、幾度となく、お話ししたいと思います。

それはきっと、私自身の成長を如実に語るものになるに違いないでしょう。

性的マイノリティの強みと弱み

  • カミングアウトし、自分が男性同性愛者であるが故に、「ひとりで生きていかなければならない」と覚悟を決めて、孤独を友に生きている人

  • 様々な理由により、結婚をし、家庭を持ちつつも、男性同性愛者である部分を大切にして生きている人

  • カミングアウトせず、婚期を逃した孝行息子と思われながらも、献身的に年老いた親御さんの介護をなさっている人

  • 私が想像もしないような形で、日々の暮らしを営んでいらっしゃる人

これらは、私が思いつくところを述べたに過ぎませんが、そのいずれもが、それぞれの人生において「正しい」「最良の選択」であり、優劣や正誤などというものはありません。

それぞれが、それぞれの人生を一生懸命に生きているのです。

人は、「誰かのために、そして、何かのために生きていかなければならない生き物」だと聞いたことがあります。

それを最初に聞いたのは、20代の頃だったと思いますが、その頃の私には余り、ピンとくるものはなかったように思います。

しかし、50を目前にした今、この言葉は、えぐるように、深く、強く、私の心を突き刺し、揺さぶるのです。

自分が、なぜ生きなければならないのかを考えることは、思春期の頃から、形や意味を変えながらも、ずっと考えていることだと思いますが、特に、性的マイノリティにとっての、”自分の存在意義を見つける行為” は、最も重要なテーマでしょう。

自分の存在意義を人生の早い段階から理解し、或いは、理解するために人生を試行錯誤して生きてきた性的マイノリティは、きっと多いだろうと察するところがあり、また、その積み重ねが人としての強みになっている人も多いように感じます。

ただ、その一方で、自分の存在意義が希薄になり、いつの間にかそれを見失うことも、あるのではないでしょうか。

自殺、快楽、クスリ・・・自分の存在意義が薄れた時に、心に魔が差すというのでしょうか、こういった、”人の道を踏み外す” ものに足をすくわれる人も、多くはないように感じます。

人が、誰かのために、そして、何かのために生きたいと願う生き物なのであれば、人や何かの役に立っているという実感があれば、道を踏み外すことを選択することはないのだろうと思うのです。

自分の存在意義を、主体的に考えよう

先に述べた「強み」が「弱み」になるのは、決して、婚姻制度の有無が原因ではありませんし、同性間婚姻が認められたとしても、それが解決になるわけでもありません。

ましてや、性的マイノリティだということが原因でもありません。

“自分の存在意義が希薄になるとき” というのは、具体的な根拠を持っていないにもかかわらず、「なんとかなる」と思いがちで、その ”気のゆるみ” が根本的な原因ではないか、そして、そのような気のゆるみが起きるのは、大体の場合、人との関係性に問題や課題があるタイミングが、きっかけではないかと考えます。

  • 恋人、友人、そして家族と別れた後で精神的苦痛を強いられている、或いは、それらといつも以上に関係を持とうとしている

  • 自分だけで過ごす時間に価値を置きすぎている、或いは、それを持てあましている

特に、性的マイノリティは、身体性、性的指向及び性同一性(性自認)において、他者と比較する “癖” がついていて、それが、自己肯定や自己肯定感の高さに繋がる場合にも、逆にそれらの低さに繋がる場合にも、極端に振れ易いのではないかと思います。

それが故に、自己否定や自己肯定感の低さにつながった場合には、「人の道を踏み外す」極端な行動の動機づけになりやすいように感じます。

話を少し変えますが、最近、「人生、“なんとかなる” ようになっている」という話を聞くことが増えたように感じます。

私は、この「なんとかなる」には功罪それぞれがあるように感じます。

  • 功の意味では、例えば、ピンチの時に、「なんとかなる」と自分を言い聞かせることにより、心に安定をもたらす効果

  • 罪の意味では、例えば、なんとかなるんだから、と楽観的になりすぎて、やるべきことをしない作用

「なんとかなる」というのは、時に、大きな安心感を与えてくれるものではあるものの、逆に、受動的であり、受け身で消極的になりかねない側面があると、留意するべきでしょう。

では、「なんとかなる」に代わる、発展的で主体的、そして、能動的な考え方は何でしょうか。

それは、「どうにかする」「なんとかする」「なんとかしなきゃ」という気持ちになることだと思います。

先に述べたように、人が、誰かのために、そして、何かのために生きたいと願う生き物なのであれば、人や何かの役に立っているという実感を持つためには、まずは、自分や自分の人生に対し、「どうにかする」「なんとかする」「なんとかしなきゃ」という使命感や意志を持つことが大切ではないでしょうか。

なぜなら、これが、計画性や主体性に繋がるからです。

その気持ちの先には、“なりたい自分” があり、それに向かって、計画(思考)➡ 行動 ➡ 結果 のサイクルを、「どうなるか(結果)」に大きくかかわる「努力(研究)」を加えつつ積み重ねながら、自己肯定感を高めると共に、一生をかけて成長していくことが出来るわけです。

更に、違う側面から自分の存在意義を主体的に考えるために、「自由」について考えてみたいと思います。

私たちは、様々な自由を享有しています。しかし、自由には常に責任がついてきます。

自由であるために、社会のルールや他の人間や地球環境に思いを致し、自己の責任を負うだけのことなのですが、これらのバランスが取れていないことが、結構あるのではないでしょうか。

自由であるために責任を負うこと・・・責任感を常に持っている人は、「決めさせられた」という感覚は、全てにおいて危険だと理解しているから、「自分で決める」ということに躊躇がないと同時に、自分が決めて責任を負うことから逃げることがありません。

“被害者” になるのではなく、“主体者” でなければならないということを実践しているというわけです。

先に、強みは弱み(欠点)になる諸刃の剣だと申し上げましたが、それを意識している人は、弱みを強みに変える「強さ」があります。

しかしこれは、本来、人それぞれがもっている力であり、もしかしたら、その力に気づかず、その力が意識の奥底で眠ったままで、その力の存在に気づいたり、目覚めさせることは、誰にでも可能なのではないでしょうか。

効果的に自分の人生を変えるための方法とは何か

効率よく自分の人生を変えられるという触れ込みで、「引き寄せの法則」なるものが流行っています。

これは、脳の作用を考えると、理にかなったものであると思います。

脳の作用として、面白いのは、「自分が発した言葉が、現実を自分に引き寄せる」こと。

つまり、ねたみ、恨み、愚痴、不平、不満、文句、悪口はすべて、自分のことと脳が認識するということであり、言い換えるならば、”願いは叶う、つまり、祈りが現実化する、思考が現実化する、言葉が現実化する” ということです。

”言葉が心を引っ張り、心が現実を引き寄せる” というのであれば、明るく上機嫌で肯定的なことを考えている時間を増やしてやることが、現実社会や人生を変える最も効果的な方法なのではないでしょうか。

私も、自分の人生を振り返り、今、現在の環境を見ると、この脳の作用による結果であるとも考えられ、「現在は、過去の選択の結果である」と言われることもさることながら、やはり、自分の思考が今、私の周りにある現実を、今ここに至らしめてきたのだと感じます。

先に、自分の資質、つまり、自分の強みと弱みを冷静に分析し、且つ、自分には弱みがあると虚心坦懐に認めることが大切であると述べました。

ここで、「引き寄せ」をも考えると、思考から現実を引き寄せることよりも、更に効果的なことがあると気づきます。

それは、自分の邪魔をするもの=自分の弱みを鍛えるほうが早いということです。

例えば、「自分は感情的になりやすい」という弱みがあると、考えているとします。

感情的というのは、感性が豊かで情熱的であるという強みに言い換える事が出来ます。

気づくべきは、「強みをコントロールできず、弱みになっていること」であり、ないもの、つまり、この例でいうと、“感情的になりにくくすること“ を身に着けるよりも、今持っているものを鍛える、身に着けることのほうが効率的なのです。

現在は過去の選択の結果であるというのであれば、一旦、選択したものは、変えられない以上、その選択を未来に向け、良くするしかありません。そのうえで、未来のあるタイミングで、改めて選択すれば良いのです。

話は、少し変わりますが、「悩むこと」と「考えること」は違います。

悩むというのは、「こうやったら、どうなるだろう」「ああやったら、どうなるだろう」と、結果ばかり考え、答えを導き出さないことです。

しかし、考えるというのは、「こうやってみたらどうだろう」「ああやってみたらどうだろう」と、行動から結果へのつながりを計画することです。

考えるからひらめくのであり、その結果、「一度やってみよう」と新しい世界、つまり、新しい、計画(思考)➡ 行動 ➡結果 のサイクルに入れるのです。

ここでも、私が何をするのか、と、主体性に立脚した考えを実行に移し結果を出すサイクルが生まれているわけです。

自分自身に悩んでいる人がいるならば、自分が自分を選択し、生まれてきたのだと言う話が本当であるならば、私は私から逃げられないとも言えるわけですから、自分と向き合い、自分を諦めず、自分と生きていくしかありません。

自分から壁を作らず、“普通” に振り回されず、強くなくても、出来ないことがあっても良いけれど、まずは自分がどうありたいのかを考え、そこにどう向かっていくのかを考えてみてはいかがでしょうか。

仕事に悩んでいる人がいるならば、自分が労働した結果、どうなっていたいのかを考え、どういう風に働いていたいのか、どういう風に働きたいか、“こうありたい自分“ へのプロセスを考えてみてはいかがでしょうか。

生活レベルを変えたいと思っている人がいるならば、こうありたい生活レベルに向かうプロセスを考えることもさることながら、例えば、年収3,000万の人の生活様式を参考にする、つまり、真似をすることにより、先に現実化してから、プロセスを思考することにより、未来での(本当に理想の生活レベルの)現実化をより確実なものにするのが、より効果的だと思います。

それぞれの人が、それぞれの人生を、一生懸命に生きている中において、より効果的に生きていけたら、良いですね。

(2020年9月5日初稿)

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