• 洪均 梁

韓国のゲイコミュニティでのCOVID-19感染拡大について ②

更新日:2021年3月24日

韓国のゲイコミュニティでのCOVID-19感染拡大に関する私の意見及び提言の、2回目です。

では、我々は、何をするべきか

性的マイノリティであろうがなかろうが、この社会で暮らしている限り、少なくともワクチンや治療薬が出来るまで、感染リスクを可能な限り低減させるべく、「新しい生活様式」を実践していかなければなりません。

なぜなら、緊急事態宣言や休業要請が解除されることがイコール、新型コロナウイルス感染が終息するという意味ではないからであり、次なる流行の可能性はゼロではなく、いつ、どんな形で再び流行するか、誰にもわからないのですから、もし、韓国のゲイコミュニティで起こっていることが日本でも起こった場合にどんなことになるか、少しでも想像すれば、背筋が寒くなるような気分になるはずです。

いや、そういう危機感を覚えて、行動するしかありません。

年単位で、新規感染者数の推移に一喜一憂しながら、それでも確実に新型コロナウイルスを克服する時まで、根気よく自粛を続けたり、新しい生活様式に変容すること以外に、我々にできることはないと思われる以上、それを粛々とやるだけではないでしょうか。

日本は、台湾や韓国に比べると、国の対応が後手後手だという批判もあるものの、100万人当たりの感染者数や死亡者数の割合が低いという事実が証明するように、上手くコントロール出来ています。

現在の状況で推移すれば、今後は、特に「防疫と経済活動をどう両立させるか」が、国家運営において重要となり、防疫も、今後の状況に合わせその手順や内容、そして規模を適宜アップデートされるなど、誰にとっても文字通り、“未知の領域” へ踏み込んでいくことになります。

自粛要請が解かれたとしても、つい先日までの ”当たり前” が通用しなくなってしまった現実や慣れない「新しい生活様式」及び国や自治体からの様々な要請に戸惑い、かといって、経済活動の停滞による経済的損失を少しでも埋めるべく活動しなければならない状況で、強いストレスを抱えながらの生活になるのは、明白です。

でも、そのような状況でも、当然ながら、新型コロナウイルスに感染した人やクラスターになった場所を責めるのは、厳に慎まなければなりません。用心に用心を重ねても、感染してしまう可能性は十分にあるのだし、同じ「人」として、共に乗り越えていかなければならないからです。

もちろん、感染したことについて、感染者が謝罪する必要もないし、我々が感染者に謝罪を求める必要もありません。

しかし、人類の滅亡とまで言うと大げさだとお叱りを受けるかもしれませんが、社会が大きく変容することになるきっかけを作った重篤な問題に対する解決を妨げるような「不備」が、感染した経緯においてなかったかどうかが非常に重要視されることは、新型コロナウイルスのワクチンや特効薬がない限り、当然でしょう。

「不備」があったときにどういったことが起こるのかの一例は、韓国の状況がそれを如実に見せてくれているわけですが、我々が注目すべきは、韓国では、性的マイノリティだから批判されているのではなく、自粛要請が解除された途端に、”三つの密” がそろうようなところへ行った、その行為に対して、批判されているということです。

批判を受けた時、”性的マイノリティだから” というような理由による誹謗中傷と、防疫のルールを逸脱し、社会に大きな混乱と悪影響を及ぼしたことに対する批判は分けて考えないと、対応を見誤ります。

また、プライバシーの保護については、防疫と調査を両立する中で、難しいかじ取りが求められることもあると思いますが、性的マイノリティに限らず、誰もが等しく、保護されるべきですが、正直なところ、性的マイノリティについていうならば、“性的マイノリティだとばれたら困る” のではなく、性的マイノリティであっても特別扱いされず、等しくプライバシーを守られれば、それでいいのです。

そして、何より肝心なのは、もし、新型コロナウイルスに感染したり、濃厚接触者となった場合に、私たちが包み隠さず、感染経路を報告することです。

「隠す・ごまかす」ということは、何か ”やましいこと” や ”知られたくないこと” があるからではないでしょうか。

また、自分の行動に対する責任感や覚悟が足りないと言っても過言ではないと思います。

用心に用心を重ねても感染する可能性はあるとはいえ、“そのようなこと” をしなければ、感染しなかったのではないかという疑念は消えることはありません。

また、隠匿したことが明るみになったときに、例えば、

「隠したり、ごまかしたりしたのは、そういったことを恥ずかしいもの、問題があるものと認識していたからだ」

と言われたら、返す言葉がないのではないでしょうか。

また、正直に告白したことを揶揄する人がいたとしたら、それこそが問題であり、事実を伝えることは全く問題ではないのです。

問題が生じた際に、責任を負えず、感染経路を正直に話せないのなら、”隠さなければいけないこと” や ”知られたくないこと” をしなければいいのです。

「行動には責任が伴う」という基本的なことに立ち返り、自分を律することが出来ないのであれば、全ての人が等しく、個々の行動が社会に大きな影響を与えかねない以上、社会からつまはじきにされてもしょうがないと思います。

ところで、LGBT団体がアンケートを行っていますが、その結果は、カミングアウトしている人と、そうでない人とで状況が異なる以上、注意深く読み解く必要があります。

例えば、「パートナーとの関係が保障されていないことで、入院・緊急・万が一の時に連絡が取れるか(家族扱いしてもらえるか)、不安を抱いている当事者が多い」そうですが、それが問題となるのは主に、二人の関係性をオープンにしておらず、且つ、日頃、緊急時について二人で検討していないカップルであると考えられます。

なぜなら、病院で、自分が家族として対応するような強い関係性があるのなら、いわば ”夫婦” なのですから、「万が一のことが起こった際にどうするか」を、日頃より二人が考えており、例えば、どこの病院で診察や治療を受けるかについても、二人で検討していたりするのが、自然ではないでしょうか。

一般的に、パートナーを家族扱いするかどうかは、医師の判断にゆだねられているところが大きい訳ですが、「地方の都市ではまだまだ東京のようにはいかない」とおっしゃる方もいるかも知れませんが、性的マイノリティに対する理解は進んでおり、余程のことがない限り、パートナーを拒否することはないでしょう。

また、性的マイノリティに対する配慮を盛り込んだ手続きを取る病院もあります。

ところが、二人の関係性をオープンにしていないカップルの場合は、何か大きな問題が生じた時点で初めて、二人の関係性が明るみになるため、医師をはじめとする医療従事者の判断が違ってくるのは、ある意味、致し方のないことだと思われます。

例えば、当初は「友人です」と言っていたのに、状況が悪化した途端に「実は、パートナーなんです」と言われて、ましてや新型コロナウイルスに感染するという特殊性もあれば、その言葉の額面通りに ”家族” として認めていいか躊躇する方がいらっしゃっても、不思議ではありません。

そういう風に、ドクターや病院との間で問題が生じた時に、二人の関係性をオープンにしていなかったにもかかわらず、「何かあったら、配慮するのが当然だ」というのは、わがままや無理難題の一種と捉えられても仕方がないと思います。

やはり、二人の関係性をはっきりとさせていなかった場合に生じうる問題については、日頃から二人でどのように対応するかを話し合っておき、仮に、家族扱いされなかったとしても、「差別だ!」と騒ぎ立てるのではなく、例えば ”親しい友人” として、出来る限りのことをするなど、第三者にも気を使える余裕が欲しいところです。

ただでさえ、疲労困憊で余裕がない状況である医療当事者に、余計な負担をかけないようにすることも、社会の一員として求められて当然でしょう。

また、別の問題として、当事者として(感染時の)家族・友人・病院・会社・学校への報告や公表について不安がある方もいらっしゃるようですが、これも同じことが言えます。

自分自身のことやパートナーのことを公にしていた場合は、何も問題はないはずです。

問題は、それらのことについて、公にしていない場合ではないでしょうか。

聞くところによると、「オンラインで仕事をしている際に、会社には伝えていない同棲相手がモニターに映ったり、生活音が漏れることで、二人の関係性が予期せぬかたちで明るみになることに不安がある」とおっしゃる方がいるようですが、自分が二人の関係性を含め、何も公表していないのだから、「想定していないカミングアウトが怖い」というのは、色々な矛盾を抱えているように映ります。

何らかの理由があって、自分の意志で公にしていないことがあるのですから、周りの人間は当然、独身者や性的マイノリティではない人として接しているはずであり、自分自身のことやパートナーの存在を明らかにしたくないのであれば、当事者が細心の注意を払って、自分の意図しない形でのカミングアウトを回避する努力が必要ではないでしょうか。

そうでないと、あなた自身が「扱いづらい人」「めんどくさい人」になってしまい、損をすると思います。

例えば、会社に「自分は独身だ」と言っているのであれば、”万が一の時” はどうするのかを考えておくべきは当事者にあります。

また、”予期せぬこと” は誰にだって、起こります。

もし、自分自身のことやパートナーの存在を公にしたときに、そのことについてアウティングや揶揄、誹謗中傷をするような人がいた場合は、当然、対峙することになるわけですが、そのことと、「自分が万が一の場合に、備えていたかどうか」は別の話です。

「明るみになってしまった時」にどうするのかを考えておくのは、セルフ・マネージメントとして当然のことだと思います。

例え、自分が意図していなかった形で公にしていなかったことが明るみになってしまったとしても、うろたえず、堂々としていればいいのです。

周りの人も、隠していたことには何らかの理由があると察してくれるわけで、性的マイノリティであることやパートナーがいることは、犯罪か何かというわけではないのですから、万が一のことが起こったときには、協力してくれることでしょう。

また、話がちょっと飛躍しますが、もし、同性間婚姻が実現した場合は、否応なしに二人の関係性が明るみになります。

パートナーのために病院に駆けつけたり、二人で一つ屋根の下、仲睦まじく暮らすような「濃い関係性があるお二人」なのですから、“何かあったときに考えよう” ではなく、常日頃から「万が一のことがあったときにはこうする」ということを、しっかり話し合っておき、万が一のことに、備えておいていただきたいと思います。

そして、この「万が一のことがあったときに備える」というのは、私のように一人で暮らす方々にも大切なことです。

ご家族やご友人などと、一度ご相談なさるのはいかがでしょうか。

私も、両親や兄弟と、万が一のことが起こったときのことを、話そうと思っています。

(2020年5月16日初稿・5月27日修正)

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