• 洪均 梁

About me

わたくし、カミングアウトは約15年前に済ませ、また、本名や年齢はずいぶん前からオープンにし、住んでいるところも「だいたい、あそこだなって推測してる💛」なんてネットで言われるくらい(ちょっと怖いけど)なので、結構オープンマインドなのだろうなと思います。

だから、自分で言うのも変かもしれませんが、

日本で一番オープンな、オピニオンリーダー

ではないかと思います。

ただ、私がこうしていられるのは、自分の努力の結果だけではなく、家族や職場の皆さん、そして友人たちや今まで知り合った人々など、様々な人に理解され、支えられてきたからだと思います。

今日がこうしてあるのは、たくさんのご縁のおかげだと、感謝しています。

さて、そんな私の生い立ちですが・・・

まず、1974年の夏に、大阪府大阪市西成区の病院で、難産の末に「仮死状態」で生まれたところからスタートします。

蘇生術のおかげで命をつなぎ留められたのですが、生きてて良かった。先生、ありがとう!

小さい頃は、「自分は同性愛者だ」なんていう自我は当然ありませんでしたが、女の子と遊んでいるほうが楽しくて、そのままのノリで小学生になり、女の子と遊んでいたら、「女たらし」というあだ名がつき、気がついたら、いじめの対象になっていました。

小学校一年生から中学校三年生までの九年間、おかま!きもい!といじめられる側にいました。

もちろん、仲良くなってくれて、今も年賀状のやり取りをしている旧知の仲の人もいるのですが、九年間もいじめられていた間、よくもまあ、グレたり、自傷行為や自殺なんかをしなかったものだなと思います。

授業があったにもかかわらず、泣きながら家に帰ったことなんかを、しみじみ思い出しますね。

そんな「地獄の9年間」を経て、高校に進学したのですが、これが男子校だったのです。

文章には出来ませんが「やんちゃな奴」が多い学校の特進クラスでの三年間でした。

でも、青春映画的な、というか、BL的な経験をしようと思えば出来る環境だったにもかかわらず、皆さんが期待するようなこと(笑)はなく、性に興味はありまくりだったものの、恋愛感情などに発展することはありませんでした。

それは多分、今思えば、いじめられたことで精神的にも参っていたのだと思いますが、「絶対、おかまだってことはバレたらいけない!」と自分に言い聞かせて、おとなしく、目立たないようにしようと心に誓っていたからだと思うのです。

でも、学級委員を三年間することになり、「おとなしく、目立たないようにして過ごす」というプランが脆くも崩れ去るなど、予期せぬことも色々と起こりました。しかし、結果的にはいじめられることもなく、無事卒業することが出来たのは、ラッキーでした。

高校を卒業して、大学へ進学。

阪神淡路大震災を震源地近くで経験するという、私の人生や価値観に大きな影響を与える出来事もありましたが、おおらかな校風のもとで、部活動を辞めることなく続け、勉強もまずまずの成績を収めることが出来た、良い四年間でしたが、私の男性への興味は、この大学在籍中に、急にやってきたのです。

就職活動を始めるような時期になって、自分が同性に興味があると気づいたというか、初めて「男性と経験してみたい」と思うようになったのです。

今思えば、きっと、ずっと前からそうだったけれど、色々なことが重なって、自分の性的指向と性同一性(当時は、こんな言葉はありませんでしたが)に気づくきっかけがなかったのだと思います。なぜなら、女性と付き合っても上手くいかなかったし、女性より男性と一緒にいることのほうが心地良く、小学生のころ、女の子といるほうが楽だったのは、きっと、自分を女の子だと思っていたのだろうな、なんて、その頃思ったりしていましたから。

同性への興味が募り、同性との性を初めて経験したのは、就職活動で東京に来た時です。

その頃には、新宿に「にちょうめ」という街があることは知っていましたので、わざわざ新宿にホテルを取り、二丁目へ遊びに行きました。それまで、一度も夜の盛り場に一人で遊びに行くなんてしたことはなかったのに、興味が勝るってある意味、怖いですね。

その時の詳細は内緒ですが、ロマンチックな経験にはならなかったことが悔やまれます。

「皆さん、『初めて』って本当に大切だよ!」とだけ、申し上げておきたいと思います。

さて、就職活動はおかげさまで実を結び、今も勤めている会社に就職しました。かれこれ、今から、23年前のこと。

働き、給与も得てひとりで暮らすようになって、遊びを覚え、恋愛もし、色々な経験をしてきました。

その間に経験した大きな出来事が二つあります。

一つは、カミングアウトです。

カミングアウトは、2006年6月28日(水)に、まず、両親に致しました。

その時、両親は混乱したようなのですが、後日母から手紙が届いて「あなたは私たちの“戦友”だ」と言ってくれて…両親に受け入れてもらえたとわかった時の喜びを、今も鮮明に覚えています。

その時は、かずえちゃんの動画に出た時に色々とお話ししていますので、よろしかったら、ご覧ください。

その後に、会社の同僚にも自分の性的指向と性同一性についてカミングアウトしましたが、こちらも幸運なことに、比較的すんなりと受け入れてもらうことが出来、今日に至ります。

世の中でまだまだ、「LGBT」や「性的マイノリティ」、ましてや「性的指向と性同一性」なんていう言葉や定義がなく、認知なんてされていなかった状況で、そこまで踏み込んだことをやれたのは、両親が受け入れてくれたことが大きかったように思います。

両親、そして、会社の同僚の皆さんに、本当に感謝しています。

そして、もう一つの大きな出来事は、労働組合の委員長を三年間勤めたことです。

人員削減に対応するとともに、就業規則の改定にも対応した経験が、私を大きく変えたと思っています。

幸いなことに、性的指向と性同一性に関しては大変理解のある会社ですので、就業規則の改定においては、“ケア”と“フェア”、つまり、多様性と一体性(ダイバーシティとインクルージョン)を職場に持たせるという観点から、働き方や人それぞれの属性に対し、合理的な配慮をすることで職場の多様性を保証するとともに、一人一人の「最高」を目指す努力と成長を公平に評価するシステムを導入することが出来たと自負しています。

こういった自分の経験を通し、50歳の自分を意識するような年齢になった今、「自分とはいったい何なのか」という長年の疑問を、ようやく解消することが出来たと思っています。

24年前に、初めて同性の人を意識するようになったときから抱えていた疑問…例えば、

  • 自分は、恥ずかしい人間・生きていてはいけない存在なのか

  • 自分は、社会の少数派・世の中からはみ出した人間なのか

  • 自分は、特殊で、異常な精神を患う人間なのか

  • 自分は、なぜ、こんなにも「メンドクサイ人生」を選択して生まれてきたのか

  • 自分は、不幸であわれな、かわいそうな人間なのか

私の結論は、

  • 誰もが皆それぞれに、「性的指向・性同一性の多様性」の中のひとつを自己認識や価値観の拠りどころにしているだけだ

ということです。

性的指向や性同一性は、全ての人に存在するものであり、「違いが存在すること」は、なにも特別なものでも異常なものでもなく、同じ社会の一員として、心の在り方、つまり、自己認識や価値観の拠り所となるもののひとつに過ぎないと気づいたとき、今までの人生の半分以上の長い期間ずっと抱えてきた様々な疑問や不安がすべて、きれいに整理され、本質的な課題が見えてきたのです。

100人いれば、100通りの性的指向や性同一性が存在し、それぞれが、異質・異常なもの、ましてや忌み嫌われるものでもなく、ありふれた自己認識や「愛のかたち」の一つ一つなのだと考えます。

それ故に、性的指向や性同一性の違いを意識する必要などない社会、例えば、

  • 性的指向や性同一性に違いがあって、当たり前。みんな、ごくありふれた一人の人間に過ぎない

  • 愛は清くそして尊く、すべての人に平等であり、自分が信じる愛を貫けば良い

ということが今以上に知られ、あるいは再認識されることで、同じ社会に住む人間同士、相手への敬意を払い、寛容な心と感謝の気持ちをもち、相互の信頼関係の下に、この社会をともに、より良いものに変えていけるのではないかと考えます。

自分で言うのも恥ずかしいですが、私は本当に幸せ者だと思いますし、かなり、恵まれた環境で暮らしてきたと、感謝の気持ちも込め、そう思っています。

だからこそ、私「だから」出来ることがあると信じています。

性的指向や性同一性の課題について、私だから出来ることを、「社会の一員として、社会にどう貢献できるのか」を土台とし、芙桜会の目標のひとつである、

  • 性的指向・性同一性に対する理解の増進を図ることにより、性的指向や性同一性の違いを意識する必要などなく、誰もが個人として尊重され、自分らしい生き方を貫けるフラットな社会を実現する

こと​に向かって活動していきます。

まだまだ、よちよち歩きの私並びに芙桜会ではございますが、皆様のご支援、ご協力並びにご指導、ご鞭撻を、何卒宜しくお願い申し上げます。

(2020/04/28)

閲覧数:10回0件のコメント

最新記事

すべて表示