• 洪均 梁

LGBT活動家による "異常な" 検閲行為を考える ①

更新日:2021年3月24日

最近、一部のLGBT活動家が、

「自分たち(LGBT)を演じるのなら、当事者を起用しろ」

「我々(LGBT)をモチーフにするのなら、我々の監修、許可が必要だ」

「LGBTを演じたり、LGBTを使って作品を世に出したのなら、我々の運動(LGBT運動、同性婚成立運動)に賛同せよ」

などという発言をし、物議を醸しています。

今回は、LGBTによる“異常な”検閲行為(に向かう懸念を含め)について、私の意見及び提言を2回に分けて述べる、その一回目になります。

昨今の奇妙なLGBT界隈の動き

私は、バイバイ、ヴァンプ!の騒動があったときに(寛容な心で、今のところは静観しておりますが)、味方だと思っていた人間からも、LGBT活動家及びその協力者からも、

  • バイバイ、ヴァンプ!を利用している危険人物である

  • 敢えて、「逆張り」をして、売名行為をしている

  • バイバイ、ヴァンプ!はLGBT差別映画ではないという近藤聡は嘘つきである

などという謂れなき誹謗中傷や侮辱を受けておりますから、もしかしたら、

LGBTによる “異常な” 検閲行為及びそれに繋がり得る運動について、日本で一番、意見が言える性的マイノリティ

であるのかも知れません。

バイバイ、ヴァンプ!の騒動については、当ブログでもご紹介しておりますので、ぜひ、合わせてお読みいただきたいと思います。>>ブログ記事

では、話を戻しますが、その「バイバイ、ヴァンプ!の騒動」の時から、私は、LGBT活動家とその協力者の言動には、より一層注目して参りました。

思い起こせば、”保毛尾田保毛男” を久しぶりに演じた「とんねるずのみなさんのおかげでした 30周年記念スペシャル」及びそれを放映したフジテレビへの抗議活動、映画「バイバイ、ヴァンプ!」への上映中止運動、宮迫博之さんが扮する “轟さん” 及びそれを自社のPRに採用した企業までを現在進行で批判しているなど、度々、今回の「轟さん騒動」のような騒ぎが起こっており、それを冷静に見るにつけ、LGBTが、「ちょっとしたことで “差別だ!” と騒ぐ世の中の迷惑分子」と化してしまったように見え、彼らの行く末が心配でなりません。

さて、細かいことを言うまでもなく、今回の騒動でも、過去の騒動と同じ構図が見て取れます。

LGBT活動家が、自分の意見や感想を、さも性的マイノリティの総意かの如く、

  • 同性愛を嘲笑していると主張

  • 差別や偏見を助長すると主張

  • 自分の子供が「轟さん」や「ほもおだほもお」とあだ名をつけられたら、どうするんだ!という極論で批判を抑え込もうとする

  • カリカチュアライズやシーライオニング、スティグマなどという難しい言葉を使ったりして相手をけん制

  • 影響力がある人間が同性愛を嘲笑することで当事者が抑圧されてきたという根拠のない問題提起

をしながら、結局のところ、

  • 自分たちの気に入った作品や自分たちの息がかかった作品は ”宣伝料無料” で積極的に拡散

  • しかし、気に入らない作品は、なにがなんでも潰す

ことのうち、「気に入らない作品だから、なにがなんでも潰す」ことに躍起になっているに過ぎないのです。

例えば、もう、パターン化されていると言っても差し支えないと思いますが、企業やスポンサー、協力した自治体や組織、個人にまでクレームをするというのは、まさに「圧力団体」そのものではありませんか。

このブログの読者であれば、議論をするまでもないことですが、何か問題が起こったときにまずすることは、事実確認・分析・建設的な議論です。

それもなしに、一方的に相手の評価を下し、相手の主張も省みず、アクションを起こすというのは、「えせ行為」の一種と言われても仕方がないと私は思います。

例えば、もう既に、「宮迫さんを起用した以上、もはや反社会勢力とみなされても仕方がない」とか「低俗で下品な企業」などと、誹謗中傷や侮辱のみならず、企業価値の毀損や業務妨害ともいえるレッテル張りがなされているのを、Twitterで確認することが出来ます。

こういった(一部のLGBTにおいての)問題が出てくると、ウソか本当か検証のしようもないアウティングの事例や “ゲイであることに悩み、自殺した友人が10人もいる“ などという話が毎度出てきますが、例えば、性的マイノリティが至るところで自殺していたら、私も、葬儀に幾度となく参列することになっているはずだし、Twitter等で、「今日はXXの告別式でした…」なんていうツイートでも見かけそうなものですが、とんと、「ホモであることを苦にして自殺した」なんて話を聞かないものですから、不思議なものです。

はっきり申し上げますが・・・個人が何を思おうと自由ですけれども、一方的に個人名や写真、動画を掲載・転載して批判をすることは、“自分勝手な正義” であり、誹謗中傷や侮辱をすることと同じだと思いますが、皆さんは如何思われますか?

架空のキャラクターに自己投影してしまう気の毒な人たち

オカマだのホモだの言われて鬱になる・・・気の毒だと思いますが、それで病気になってしまうというのは、裏を返せば、

「ホモ(オカマやLGBT、性的マイノリティなど、お好きな言葉で変換してください)である自分を受け入れていないのは、他の誰でもない、そのご本人なのでは?」

と私は考えるようになりました。

例えば、“予期せぬ、秘密の暴露(要は、アウティングという言葉で表現されていること)” があったときに、「ええ、あたし、ホモですけど、何か?」と返せる余裕があったならば、世の中で起こる問題の殆どは問題でなくなるように思うのですが、その ”心の余裕“ は、自己認識、つまり、「自分が同性愛者であることを受け入れ、自分と一体化しているかどうか」がカギではないかと、私は自身の経験を通して、思うのです。

私も、若いころは、ホモやおかまと言われるのが辛かった。

なぜなら、ホモやおかまであることがネガティブなものだと思い込んでいたことにより、自己肯定感が低く、また自分に自信がなかったため、結果的に、自分を強く抑え込んでいたからです。

それに加え、「自分が不幸なのは、全部自分がオカマ(ホモ)のせいだからだ」「オカマ(ホモ)だからしょうがないんだ」と強く信じていました。

今思えば、愚かな話に他ならないのですが。

でも、これは全て、自分で作り出した “まぼろし”、そして、自分の環境を変えることから逃げる “言い訳” に過ぎなかったのです。

ところが、こういう話をすると、「それはLGBT活動家やゲイリブ活動家のおかげで、住みやすい世の中になったからだ」などと恩着せがましく言ってくる人が必ず出てきます。

しかし、生きやすいどうかというのは全て、それぞれの個人が、必死になって自分の人生を生きてきた結果、つまり、試行錯誤や修正としての自分の行動や思考のパターンの変容と社会への適応の相乗効果の結果に過ぎないのではないでしょうか。

それなのに、誰に頼まれたわけでもなく、自分の意志で ”LGBT活動家” を始めた人間が、「お前が今、幸せでいられるのは、俺たちのおかげ」と他人に認めさせようとするなんて、どれだけ、傲慢なんだろうと思いますね。

皆さんは、海のものとも山のものともわからない他人に、「俺たちのおかげで、お前が幸せに生きていられるんだ、感謝しろ!」なんて言われて、平気ですか?

相手にしないか、「お前はあほか!」と一蹴する人がほとんどかと思いますけども。

さて、話を戻しますが、“保毛尾田保毛男” や “轟さん” という架空のキャラクターを見て、いたたまれない気持ちになる人、つまり、自分を投影してしまう人を、私は気の毒に思います。

昔の私のように、自分を受け入れられず、自分の中でもがき苦しんでいるのだろうと、察して余りあるものがあるからです。

“轟さん” のような、はっきりと申し上げて、“この程度のこと” で済む話は、笑い飛ばしたら良いのに、それが出来ないのですから、早く、自分が作り出した “幻” から、抜け出して欲しいと切に祈ります。

“主語”の大きな意見に注意しよう

ただ、やはり「“轟さん” は許せない」とお考えの方もいるでしょう。

でも、ちょっと考えてほしいのです。

今回も、“ハゲ” や “デブ” という言葉を引き合いに出し、「そういう身体の状態を嘲るのと一緒だ」と憤っておられる方もいらっしゃいますが、ハゲに性的魅力を感じる人もいるし、デブだって、ホモの世界では人気があったりするわけですから、一概に、全てにおいて問題であるように言うのは、違うように私は考えます。

それに、いわゆる “おねえタレント” はどうなるのでしょうか?

“轟さん” を見て、「あれが、LGBTなのだと勘違いし、いじめの原因になる」と言うのならば、おねえタレントを見て、「あれが、LGBTなのだと勘違いし、いじめの原因になる」と、おねえタレントも排除しなければならないのではないでしょうか?

二丁目には、「ブスを笑いにしてきた」と言って憚らない “お笑い系ドラッグクイーン” なんていうものがあるそうです。

私はそれに全く、興味がありませんし、エンターテインメントだとも思いませんが、“ブスを笑いにしている” なんてことこそ、大問題ではないですか?

人によっては、「おねえタレントを見て、LGBTの全てがおねえだなんて考える人はいない」とおねえタレントを擁護するのかも知れませんが、実際に、

「お前も、XXXX(タレント名)と一緒で、おねえなんだろ?」

「二丁目で、週末はおんなの格好をして歩いているんだろう?」

なんて言われたこともある私に言わせると、おねえタレントに不必要な偏見を生む可能性はない、とは言い切れないと思います。

しかし、だからといって、私は「おねえタレントを排斥しよう!」などとは全く思いませんし、もし、そんな運動が起こったならば、断固反対します。

これからも、ことある毎に言っていこうと思いますが、“轟さん” のような架空のキャラクターに対して、瞬間湯沸かし器のように細かいことに過剰反応してきゃんきゃんと喚き騒ぐのではなく、気に入らないのなら、相手にしないのが一番良いのです。だって、仕事でやっていることなんだから。

こういうことを言うと、「じゃあお前は、LGBTが汚い存在、死ねばいいなんていう風に描かれても、文句は言わないんだな」とけんか腰で問い詰めてくる人が出てくるのですが、もう、なんて言うのかな、「理解しろよ」という話なのですよね。

世の中には、許容範囲の狭い人が一定数いることを考えると、そのような極論を振りかざしてくる人が出てくるのも、誹謗中傷や侮辱に当たるものでない限りはしょうがないのかな、と思ったりもしますが、逆に言えば、「『あなた以外の人は、何とも思っていないのだけれど?』というレベルのことをあなたは騒いでいるんだよ」という客観的な視点は忘れて欲しくないのです。

また、今回の騒ぎのように、声高に何かを問題にして騒ぐ人は、殊更に「主語を大きくする」ように思います。

先にも述べましたが、自分の意見を、まるで性的マイノリティやLGBTの全ての人間が、同じように考え、問題視しているかのように語っていることに、大多数の性的マイノリティは、呆れ、彼らから静かに距離を取ったり、逆に憤り反論を披露したりしているというのが、現実なのです。

それに、だいたい、架空のキャラクターを見て、「同性愛者ってみんな、こういう人たちなんだね」と思うかって話なのですよ。

もし、本気で「“轟さん” を見たら、LGBTが誤解されてしまう」と信じているなら、“轟さん” を見ている視聴者たる国民や住民をバカにしているようには思えないでしょうか。

皆さんだって、「架空のキャラクターを見ている」という客観的な視点は、それを意識しているかどうかにかかわらず持っているはずで、“轟さん” を見て、全てのゲイがそうなんだ!なんて思うわけないでしょう。

百歩譲って、本当にいじめに繋がったり、偏見を助長するとするのなら、ドラえもんはどうなるんですか?クレヨンしんちゃんは?ちびまる子ちゃんは?

私には、ジャイアンやスネ夫がのび太をいじめているように見えますし、クレヨンしんちゃんは下品だし、ちびまる子ちゃんは生意気で嫌味な感じがしますから、“轟さん” 程度のことで、差別を助長する!いじめを誘発する!とおっしゃるのなら、それらも「子供に悪影響を及ぼすから」という理由により放送中止にし、作家やそれを放映しているテレビ局に謝罪させないといけない、ということになってもおかしくはないと思いますが、皆さんは、こんな私に賛同してくださいますか?

・・・ものすごく、本質から外れたことを問題視しているのだな、と皆さんもご納得いただいていることと思います。

いじめを助長する!なんて言うLGBT活動家がいるので、敢えて言いますが、“轟さん” という架空のキャラクターに問題は全くなく、根本的に、それから何を感じるか、つまり、受け手側「その人間」の問題なのです。

いじめは、人を傷つけ、挙句の果てには人を殺します。

いじめは、人を狂わせ、人生をも破壊します。

いじめは、犯罪です。

軽々に、自分の飯のタネにいじめを持ち出すのは悪手であり、厳に慎むべきだと、私は考えます。

もし、本当に “轟さん” の程度のことで私たち性的マイノリティが偏見を上塗りされ、生きていくことに困難が更に生じてしまい、場合によっては自殺までしてしまう事態を引き起こすのならば、“轟さん” をつぶすのではなく、そのようなもので、差別やいじめが助長されるこの社会をファインチューンすることと並行して、そんなことで自殺したり、鬱になってひきこもるような人の心のケアに心血を注ぐべきだと私は思いますが、皆さんはどう考えますか?

(2020年7月28日 初稿・7月30日 改編)

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