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LGBT理解増進法案(2021年・自民党案)を考える

更新日:2021年5月5日

現在、自民党の性的指向・性自認に関する特命委員会(委員長:稲田朋美衆議院議員)において、LGBTへの理解を促進するための法案(「LGBT理解増進法案」と呼ばれている)が取りまとめられ、現在開会中の通常国会(第204回国会・2021年6月16日までの予定)に議員立法として提出するべく、様々な準備が進められています。


芙桜会ブログの読者の皆さんには、この「LGBT理解増進法案」の存在そのものを初めて知ったという方も、少なくないのではないでしょうか。


今回は、この法律が「今」必要な理由や、この法律の成立後に起こると懸念される問題などを考察し、日本が「性的マイノリティの平穏な生活を保障すること」において、世界の先陣を切り、まずは理解増進で差別や偏見をなくしていく、その先鞭をつけるべく、お話したいと思います。


「LGBT理解増進法案」の内容や与野党間折衝の状況が外部(LGBT運動家)に漏れている?

2021年4月、LGBT理解増進法案が自民党の特命委員会で取りまとめられ、現在開会中の通常国会で議員立法として成立を目指すことになったと、報道されました。


引用)2021年4月12日付 NHKニュース「LGBT理解促進へ国や自治体の役割など定める法案まとめる 自民」

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210412/k10012970861000.html

その後、法案に関する動きは、ごく一部で概要が報道されていたものの、法案の内容や与野党間の折衝など、具体的な情報は一切、出てきていませんでした。


ところが、5月に入って、LGBT運動家などが、次のような情報を公にしています。

引用)2021年5月2日付「LGBTQがいじめ・差別から守られる法律を!緊急声明」

https://note.com/lgbtq_houritsu/n/n56acf6a6d9d2

  • 与野党間での法案協議がGW明けに終わる方向で議論が進んでいる

  • LGBT理解増進法案は、差別を野放しにし、性的マイノリティに関する世の中の動きを抑制し、むしろ「後退」させる懸念もある骨抜きの内容である

  • なぜ、「差別の禁止」を法律に明記することが出来ないのか

仮に、これが事実だとすると、原則非公開であろう法案の内容そのものや与野党折衝の状況が、部外者であるはずのLGBT運動家に情報が漏れていると思われます。


また、法案を「骨抜き」と断定し、LGBT運動家は更に、この法案を「差別を放置し、同性婚やパートナーシップ制度導入の動きを阻害、トランスジェンダーへのバッシングを助長するような、性的マイノリティがいじめや差別から守られない、むしろ性的マイノリティに関する世の中の動きを抑制、後退させる危険性すらある内容」であるとも言い切っており、ここまで言うからには確固たる証拠があってのことと考えられ、いわば信義則に反する状況だと言って、差し支えないのではないでしょうか。

  • 今国会での法整備を逃すと、性的マイノリティに関する法律の成立がいつになるか不明

  • このままの内容で法案が成立してしまうと、「法律がないほうがマシ」ということにもなりかねない

ここまでLGBT運動家に言われて、自民党関係者の皆さんは、平気なのでしょうか。

又、情報の漏洩元は、代理でLGBT運動家にこんなことを言わせて、自分が情けなくはないのでしょうか。


どう考えても、悪質なレッテル貼りと世論のミスリードではないでしょうか。


「LGBT理解増進法案」が、LGBT運動家に漏洩しているであろう現実を踏まえれば、法案を早期に公にし、国民にその成立の意義を訴え、幅広く意見を募りながら建設的な議論を進め、法律として成立するべきであると考えますが、皆さんはどうお考えになりますか。


LGBT理解増進法はなぜ、今、必要なのか

一般社団法人芙桜会は、当然ながら、LGBT理解増進法案の内容を知らされておりません。


しかし、それでもこのLGBT理解増進法が、今、必要だと考えるのは、「共生するためには、その土台は相互理解である必要があるから」です。


簡単に言えば、「“よく分からないもの” を受け入れろ」なんて、根本的に無理があるということであり、何が差別であるかも不明瞭で、誰が差別というものを決めるのかも分からない中で、差別をするな!偏見を持つな!と法律でがんじがらめにされるのは、人の心がついてこず、結果として、当事者に反発や不信をもたらす結果になるということがわかっているからです。


これについては、後述するように、海外で既に現実化しているのです。


そもそも、日本には、他の国と異なる、性的マイノリティを取り巻く事情があります。

その「異なる事情」とは、我々が既に内包されている=基本的には平和に暮らしているということです。

海外のように、宗教や政治からの迫害もなく、自己主張が過度でなければ、多少の不自由さがあったとしても、平穏に暮らしていけるのが現実です。


こうお話すると、「LGBT運動家が、差別がある!偏見がある!と言っているではないか」といぶかしがる方もいらっしゃると思います。


確かに、私も幼少のころ、女性っぽいとか、男の子らしくないと言われたこともありますし、社会人になってから「オカマの営業ってマイナスにならんか?」と言われた経験もありますから、それを差別的言動だと主張する方の気持ちは分かります。


しかし、同和問題のように、生まれや育ちという選択肢のない成育そのもので差別を受けるような、本物の差別とは根本的に違うということは、はっきりと申し上げておきたいと思います。


それはなぜか。


それは、「自分が性的マイノリティであると名乗らない限り、当事者にはなれないから」です。


この “名乗る” というのは、文字通り “自分は男性同性愛者です” と名乗ることのみならず、“(生物学的)男性であるが女性を装う” ことなど、性的マイノリティであることを他者に認識してもらうことの全てが当てはまります。


この “名乗る” というレベルが、実は、当事者の間でも異なるのです。

だからこそ、LGBTであれば、L(女性同性愛者)G(男性同性愛者)B(両性愛者)とT(性同一性障害者やトランスジェンダーと名乗る人々)は分けて考えないといけないのです。

この「Tを分けて考えよう」ということについては、後述致します。


ところで、先ほど、私が経験した「不愉快な場面」についていくつか触れましたが、それらから、皆さんは何を感じましたか?


確かに、それらは不適切です。言ってはいけないことであろうと、私も理解します。

しかし、それらをもって、「差別だ!」と一足飛びに断定し、糾弾して良いかどうかは、疑問があります。


「差別は良くないね」で止まるのではなく、「何を差別しようとしているのか、なぜ差別が起こり、そして、起こらないようにするにはどうしたら良いか」をきちんと明らかにし、傾向と対策を立て、一つ一つ、差別や偏見をなくしていく不断の努力が、まずもって必要なのです。


今、不適切であると言われている発言や言動は、きっと、理解が進めば、なくなっていくものでしょう。


この、「理解が進む」というプロセスがなによりも大事であり、これを無視して、“差別禁止” とするのは、飛躍しすぎであり、そもそも、何が差別なのかも理解されていないところに、“それは差別だ!” と一方的に決められるような社会になったとしたら、それは別の差別や社会問題を引き起こしかねないのではないでしょうか。


当事者の中には、日本に住む人々(あえて、国民とは言いません)の叡智を信じ、まずは理解の増進を進めることによって、差別と呼ばれるものや偏見をなくしたいと考える人が少なくありません。


“声の大きい者” の主張に惑わされず、大多数の当事者は、声を上げずに静かに、状況を見守っていることを忘れずにいていただきたいと、重ねてお願いを申し上げるのです。


当事者のためだけでなく、すべての人々のために法律が必要

皆さんは、性的マイノリティに関する法律は、性的マイノリティのためだけに必要だと考えていらっしゃるのではないでしょうか。


私も、以前はそのように考えておりました。


しかし、実際には、性的マイノリティに関する法律は、当事者のみならず、当事者ではない人々にとっても、必要な法律なのです。


それはなぜか。


それは、性的マイノリティとは、「“自己申請” と周りがそのように(性的マイノリティだと)認識すること」つまり、性同一性(自己の性別に関する自分と他者の認識の一致)によって成立するものであるにもかかわらず、当事者個人の考えや経験によって様々なものが “定義” として広められており、その、定義が必ずしも定まっていない ”概念” に、社会が振り回されている現状を打破する必要があるからなのです。


ちょっと、考えていただきたいのですが、性的マイノリティに関することについては、殊更に、LGBTが差別される、いじめられる側に立つ前提になっているのではないでしょうか。


しかし現実には、LGBTが差別に加担する、或いはいじめをする側に立つ、LGBT内で頻繁に差別やいじめもあります。なぜなら、私たちは性的マイノリティという性的指向を持っただけの普通の人間だからです。


圧倒的多数の異性愛の方々は、なんとなく、かわいそうだから、気の毒だから、という “やさしさ” で、LGBTを差別やいじめから守る法律が必要だ!と変な煽動をされてはいないでしょうか。


ハッキリと申し上げておきます。


性的マイノリティというのは、あくまでも個人の性的指向であるだけで、考え方も生き方もそれぞれ一般の方々と差異はありません。

被差別者として憐れみを受ける存在ではなく、私たちは自然に市民生活の中で共存していきたいのです。

“性的マイノリティだから特別な保護が必要” というものは、ありません。

理解して受け入れてもらえれば、それで良いのですから。


さて、もう少し、なぜ、当事者以外の人々のために、LGBT理解増進法が必要なのか、お話したいと思います。


皆さんも、報道やSNS上の書き込みなどで、LGBTに対し不適切な(不適切だとLGBT運動家が糾弾する)言動や対応に対し、悪辣な批判や熾烈な攻撃がLGBT運動家やその支持者からなされてきたのを、見ておられると思います。


そこで、皆さんは思わないでしょうか。


「彼らが言う差別や偏見って、いったいなに?」


現状は、LGBT運動家がそれぞれの主観で、差別や偏見を定めているようなものであり、当事者の大多数は、「そんなことまで、差別や偏見と言って良いのか?」と彼らの傍若無人ぶりに、批判的なのです。


もし、LGBT差別禁止やLGBT平等の名の下に、差別や偏見を、法律で認められた ”非公開の第三者機関” が定めるようなことになれば、恣意的な差別が生み出される危険性はないのでしょうか。


例えば、2018年12月5日提出「性的指向又は性自認を理由とする差別の解消等の推進に関する法律案」の第23-25,38条や第27-30条を見て、皆さんはどう思われますか。


何が性的マイノリティにとって差別や偏見なのか、統一の見解もなく、LGBT運動家が個人の考えや経験を基に、好き勝手に差別だの、偏見だのと騒いでいる現状を踏まえれば、例えば、性的マイノリティとはどういうものなのか、性的マイノリティとの共生はどうあるべきか、そして、性的マイノリティに対する差別や偏見とはどういったものなのかについて共通認識もないままに、差別の禁止やLGBTの平等に一足飛びで進むことが、必ずしも正しいとは限らないという認識を持っていただけるのではないでしょうか。

●性的指向又は性自認を理由とする差別の解消等の推進に関する法律案 (shugiin.go.jp)



女性や子どもの命・健康・尊厳を守るために、「性同一性」でなければならない

性的マイノリティに対する理解や配慮は、ごく一部では飛躍的な進歩を遂げたと考えます。

例えば、東京や大阪のような都市部や(超)大手の企業、そして(一部の)外資系企業がそれにあたります。


しかし、地方や中小企業、そして高齢者が、性的マイノリティについて理解をし、そして、適切な対応をとれるかというと、決してそんなことは言えない状況であると考えます。


芙桜会は地方都市に本部がありますが、地元の状況は「30年前の東京」だと考えます。

30年前はどうだったかというと、今や伝説の言われる日本テレビ系列でテレビドラマ『同窓会』が放送されたのが1993年です。


“ゲイブーム” などと当時は言われていたものの、依然として性的マイノリティ(この言葉は、当時存在しませんでしたが)について差別と呼ばれるものや偏見が根強く残っていた、そういう状況が、地方にはまだまだ “当たり前” であると言えるのです。


また、高齢者にしてもそうです。

80歳のおじいちゃんの20歳や30歳の頃というと、50年前、60年前の社会通念で家族や婚姻について想像力を働かせなければならないのですから、そこに ”LGBT” だのと言われて、にわかにすんなりと受け入れられるわけがないのであり、例え不適切な発言があったとしても、長い人生を鑑みて致し方ないと考えるのが妥当でしょう。


さて、先に、「LGBとTは分けて考えなければならない」と申し上げました。

そして、ここでは「女性や子どもの命・健康・尊厳を守る必要がある」と申しております。

その象徴として、政治と温泉・浴場を取り上げてみたいと思います。


芙桜会ブログの読者の皆さんには、LGBT運動家が主張する性自認(日本で誤って認識されてしまった、とも言える)と性同一性の違いは、ご理解いただけているものと、存じます。

改めて、LGBT運動家が主張する性自認の問題を整理します。

  • 生物学的性別を無視する

  • 自分の性別は自分で決められるため、他人の認識は無視する

  • 自分の性別は何度も変えられる

これが、3つの主な考え方です。

つまり、「生物学的性別(戸籍上の性別)を無視した性別の自己決定権」が、性自認です。

また、これを法的にも保障するというのが、「セルフID」という考え方です。


この、LGBT運動家が主張する性自認及びセルフIDの危険性については、当ブログの他の記事でも取り上げておりますので、詳細は割愛いたしますが、政治においては、既に海外で問題を引き起こしています。


例えば、アメリカのニューヨーク州民主党における「男性1人、女性1人」という、生物学的性別(SEX)に基づいた規則は、ある一人のトランス女性によって、改正されています。

引用1)2019年10月18日付 The Velvet Chronicle “Exclusive: NY Democrats Quietly Dismantle ‘1 Male, 1 Female’ Rule”(独占:NY民主党員は「男性1人、女性1人」のルールを静かに解体する)

https://thevelvetchronicle.com/ny-democrats-quietly-dismantle-1-male-1-female-rule/


そして、イギリスでは、性別の自己決定権によって、社会に甚大な混乱と分断が生じているのです。

引用2)2020年4月4日付 CNN “The quest for trans rights has exposed a deep divide in the UK. Scotland may show a way forward”(トランスジェンダーの権利追求は英国の深い分裂を露呈させた。スコットランドはその解決の道を示すか)

https://edition.cnn.com/2020/04/04/uk/trans-rights-reforms-scotland-gbr-intl/index.html


これらが示しているのは、”トランスジェンダーの存在が問題なのだ” などというまさに、差別そのものでは、決してありません。

問題は、「性別の自己決定権(LGBT運動家が主張する性自認)」や「セルフID」であると指摘し、それら欠陥のある考え方を導入すれば、社会がどうなるかを教えてくれているのです。


「ジェンダー平等」の重要性について認識が高まっている現在において、ジェンダーを考えるときには、もう既に、”男と女とトランスの三者を考慮しないといけない時代” になっていることを認識しなければなりません。

その認識を妥当なものにするためにも、生物学的性別を無視してはならないのです。


なぜなら、この日本においては、生物学的性別を無視することは即ち、性同一性障害を抱える人々を否定することになるからです。

性同一性障害を抱える人々は、自分がイメージする性別に埋没していきます。

つまり、トランスジェンダーという “中間地点” では生きていないのです。


海外の事例を見ていると、海外では、「トランスジェンダーという性別を生きる」ということに価値を見出しているようですが、トランスジェンダーは性別(ジェンダー)ではありません。ジェンダーをトランス(移行)している途中の状態にいる人々の総称なのです。


人はすべて、男性か女性に落ち着く必要があります。


なぜなら、繰り返しますが、トランスジェンダーは性別ではなく、性別を移行している状態を表わしているに過ぎないからです。

これは、女性や子どもの命・健康・尊厳を守るうえで、忘れてはならない重要な事実です。


ここで一度、差別とは何か、考えてみよう

LGBT運動家が主張し、その支持者が賛同する差別は、本当に差別と言い切ってしまって良いのか。


時代は、分析と対策を個別に講じる段階に進んでおり、真に問題であり、法律で解決しなければならないものや社会全体で解決しなければならないものを、数多の事例から選別する必要があります。


例えば、LGBT運動家が「トランスジェンダーの当事者が、10社面接を落とされた」と、LGBTの当事者との面接について差別があると言っています。


私の友人の話をしましょう。


彼女は、40代で転職を繰り返したそうです。その頃は、何社受けても不合格。書類審査で落とされたことも多かった。

余りに落とされるので、ハローワークの勧めで、ジョブコーチの方の講座とカウンセリングを受けてみたそうです。


その後の結果は、ほとんど合格になったとのこと。


それを通じて、彼女は、「こんなに自分が間違っていたのか」と痛感したそうで、ジョブコーチの助言は厳しいが、的確だった、つまり、彼の履歴書や職務経歴書、面接では、「企業が求めているものと全くマッチしないという現実に気づいていなかった」ということに気づいたのです。


彼女は、「自分が性的マイノリティだとはカミングアウトしないけれど、中高年の転職でやってはいけないことを繰り返していた」という結論を得たのです。


そして、話は企業の都合にも及びます。


企業は、この人材がどう我が社に貢献できるのかを当然のことながら重視しますが、中高年は過去の職歴、役職にこだわりすぎて、そんな人材は欲しくない企業にとっては、邪魔になるということが多々あると言います。


ジョブコーチの助言は、職務履歴書の内容を三分の一以下にして、面接で聞かれたらご自身の言葉で丁寧に伝えるというものだったそうです。彼女なら、だらだらと職務履歴書に書かなくても充分、面接で伝えられるというのです。


特に、職種を変えての面接で、職務と無関係の過去歴を言うのは、“不採用への直行便” だと教えてくれたジョブコーチには感謝しているそうです。


LGBTを理由に10社不採用の方がいたとすれば、それは内容を十分に検証してみる必要があります。


必ずしも属性の話ではない可能性があります。

聞きもしない属性について長々と話をしたら、大事な時間が無くなります。

聞かれたらしっかり答えても良いでしょうが、その際の話し方には注意が必要です。


ある、IT企業の社長がSNSでこんな発信をしていたそうです。


「不採用の当事者から『LGBTフレンドリー企業だから応募したのに、どうして不採用になったのか』とメールで問い合わせがあった。そうくるなら、もうLGBTフレンドリーは止めないといけない」


機会の平等は保障するが、結果は別であるという、極当たり前のことを端的に教えてくれる事例ではないでしょうか。


10回落ちたら差別だ!というような話は、本当に働きたい人から採用を遠ざけるだけです。


LGBTの理解増進とは相いれないことは言うまでもありません。


そして、そんな差別を発信しているLGBT運動家やそれに賛同する人々が求めているのが、罰則付きの差別禁止法なのです。


なにが、差別なのか、なにが、偏見なのか


“やさしさ” や ”慈善” ではもう、済まされないことを、ご理解いただきたいのです。


LGBT理解増進法が成立して起こり得る懸念される問題

仮に、LGBT理解増進法が成立したとしましょう。


その法律は、LGBTを含む性的マイノリティについての理解増進を通して、差別や偏見をなくすことが真の目的だと理解しております。

それに対し、LGBT運動家や彼らの支持者は、ここ数日の動きをみていると、理解増進と差別禁止の両方が必要で、LGBT運動家が主張する差別禁止や性自認を、LGBT理解増進法案に盛り込めと主張を微妙に変えていますが、大枠では、「今、必要なのは差別の禁止である」と主張し、対立しています。


差別の禁止を名目に、法律で設置が認められている “なんとか委員会” で自分たちが決めた差別や偏見を禁止し、違反には罰則規定を設けるのが目的であることは、先にご紹介した過去の法案の条文からも読み取れます。


もし、「やはり、理解増進ではうまくいかない。差別禁止でいかなければならない」

と世論を誘導することを考えた場合、何が必要でしょう。


私ならば、LGBT理解増進法が成立した後、性的マイノリティに対する差別や偏見と呼ばれる事案を報告しまくり、世の中に差別や偏見があふれているかのような印象を作り出すことに躍起になることでしょう。

  • 言葉の暴力、つまり揶揄やからかいに関する報告

  • 身体に対する暴力として、石を投げられたり、仲間外れにする、距離を置く、といった行為

  • 入居差別、アルバイトを含む就職差別

  • 友人や職場の同僚・雇用主など周囲の侮蔑的な態度や、顧客に拒否されたり避けられたりといった事例

  • 「トランスジェンダーだから、気が強いと言われた」というようなジェンダーを絡めたもの

  • 「性的マイノリティのくせに偉そうにするな」と言われた

  • 公衆トイレに差別落書きが書かれていた

  • 満員電車に乗っていたら、いつの間にか制服が切られていた

こういった事案が急増したとき、気を付けないといけないのは、「それをそのまま信じてはいけない」ということです。

報告を拒否してはなりませんが、それらを一旦は受け止めたうえで、一つ一つの事案を丁寧に分析・検証し、適切に対処することが重要です。


なぜなら、理解増進で差別や偏見をなくすという考え方と、差別禁止で差別や偏見をなくすという考え方の大きな違いは、日本に住む人々(あえて、国民とは言いません)の成熟度をどのように見ているかにあるからです。

今、まさに、提案されようとしているLGBT理解増進法案は、法律で縛る前に、日本に住む人々の叡智を信じることを出発点にしていると言えます。


ところが、海外においては、法律で縛らないと人々は変わらないということが前提になっています。


その海外では、日本に先んじて、差別禁止法やGender平等法が制定され、同性婚やパートナーシップ制度、そして、性別の自己決定権が認められてきました。


しかし、現実には、バックラッシュ(寛容の揺り戻し・LGBTへの反発)が起き、反LGBT法の制定なども行われるような事態になっているのです。

つまり、理解増進なのか、差別禁止なのか、という単純な話ではないということなのです。

理解増進も、差別禁止も、

「性的マイノリティが平穏に暮らせるようにする」

ことがゴールです。


そこに到達する順番が、理解増進と差別禁止とでは違うに過ぎません。


従って、一方がもう一方を否定や批判するのではなく、一旦は協力して、「性的マイノリティが平穏に暮らせるようにする」ために、法律を成立させ、そこから、日本独自のやり方で、性的マイノリティが平穏に暮らせる道筋を、海外の失敗例を参考にしながら、時間をかけて作っていけば良いのではないでしょうか。


殊更に、「日本は遅れている」と言われがちですが、法整備が遅れたことによって、社会を適切に機能させながら、性的マイノリティが平穏に暮らせるようにするために何をすればよいのかについて、参考となる事案が海外に山積しているという、ある意味、幸運な状況になったともいえるのではないでしょうか。


私たち性的マイノリティ当事者が望むことは、可哀そうな被差別者扱いなどではありません。

社会との共存や融和なのです。


そこを国民の皆様に理解していただくことが一番大事なことです。

そして理解の上で話し合い認め合い、日本という社会が成熟していくのだと考えます。


欧米の模倣は、日本の文化と相容れない部分が多々あります。

和魂洋才を取り入れていくべきだと考えるのです。


野党及び公明党にお願いしたいこと

恐らく、野党並びに公明党には、様々な意見や要望が届いていることでしょう。

その中には、

“自民党案には絶対に合意するな”、“安易に与野党間で妥協したら許さない”

といった、強硬なものも含まれていることと思います。


しかし、ここはひとつ、「性的マイノリティが平穏に暮らせるようにするため」という最終ゴールに、今こそ出発するため、LGBT運動家が主張する性自認や差別禁止などは横に置いて、法案として今国会に提出すること並びに法律の成立に、ご協力いただきたいのです。


もちろん、自民党案をなにも言わずに承認せよ、とは言いません。

是々非々で与野党が関わり合い、より良いものに育て、性的マイノリティが平穏に暮らすために、法案を成立させていただきたいのです。


ここは日本です。

宗教や政治が、性的マイノリティを迫害するような社会ではありません。

日本が、理解増進で差別や偏見をなくした、世界で最初の国となることは、必然のことなのです。


そして、繰り返しになりますが、ごく一部の “声の大きい者” の意見が、性的マイノリティの総意ではないということ、そして、大多数の当事者は、意見を表明出来ないこと、また、声を上げず冷静に、状況を分析し、何を信じればいいかを判断していることを、忘れないでいただきたいのです。


当事者は、皆さんに声を届けている者だけではありません。

与党支持者も、無党派の当事者も、当たり前ですが、数多く、マジョリティとして存在します。

特に、野党の皆さんが取り込まなければならないのは、その、与党を支持する当事者や、無党派の当事者です。


“声の大きい者” に惑わされ、支持を得るべき大多数の人々のニーズを見誤り、結果として、野党や公明党が損をするようなことにならないよう、現実に即した賢明な判断と対応を行っていただくよう、強くお願いを申し上げる次第です。


我々がこの社会でこれからどう生きていくのか?


短絡的で政治的なイデオロギーや政争の具に巻き込むのではなく、「性的マイノリティが平穏に暮らせるため」に、全ての性的マイノリティが日本には存在するのだという現実に対し、今こそ、理解を進める法律を成立していただきますよう、心からお願いを申し上げ、この記事を締めくくりたいと思います。

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